伝記
アブー・ハーミド・ガルナーティーは、イスラーム世界の学者であり、旅行者、驚異譚の作者である。1080年にイベリア半島のグラナダに生まれた。一族は、ムラービト朝の君主ユースフ・イブン・ターシュフィーンの治世を逃れてグラナダを離れたと考えられている。30歳前後の1110年ごろ、故郷を出て東方へ旅立ったが、同じ旅人のイブン・ジュバイルやイブン・バットゥータと違い、二度と故郷に帰らなかった。旅の目的ははっきりしないが、初めのうちは訪れた土地で学者に学んでいるので、学者が知識を求めて旅するならわしに従ったとも考えられる。
マグリブには8年ほどいたとされるが、どの町にいたかはわからない。そののち船で地中海を東へ向かい、シチリアには航海上の理由で数日とどまっただけだったが、火山の逸話を残した。船はエジプトのアレクサンドリアに着き、大灯台や「地下都市」を見て回ってから、カイロへ向かった。カイロを拠点にして、古代遺跡のあるアイン・シャムスや上エジプト、ナイル川の西のオアシスにも足を運んだ。その後はシリアへ向かい、アスカロンを経てダマスクスに入って、あるマドラサの近くに住み、学問に励んだらしい。1122年に、のちに宰相となるアウン・アッディーンの家に身を寄せ、1126年までそこにいて、多くの師からハディースを聞いたという。バグダードで長男のハーミドが生まれ、それにちなんで、父という意味のアブー・ハーミドという尊称を得たとも伝えられる。
1130年までには、イラン北部のアブハルとアルダビール、ダルバンドを訪れた。ダルバンドでは、土地の首長に迎えられ、イスラーム法の講義をした。1131年にはヴォルガ川下流の町サクスィーンに着き、3年ほど滞在して、法学者たちが複雑な訴訟の解決を問いに集まってきた。1134年にはさらに北のブルガールに移り、土地の王と気さくに言葉を交わしたとされる。ブルガールでの暮らしは20年ほどにおよんだとも考えられ、そこからルーシの地にも行き、毛皮が貨幣として使われることを記した。のちにキエフを経て、ハンガリーに向かい、1155年から1158年まで滞在した。王から相当な待遇を受け、顧問をつとめたとも伝えられ、軍の有力な戦力だったイスラーム教徒のペチェネグ人とも交わった。ローマ、あるいはコンスタンティノープルへ行きたいと望んでいたが、果たせなかった。その後サクスィーンに戻り、1159年にホラズムへ出発し、1160年にメッカ巡礼をして、バグダードへ帰った。
1160年に帰り着いたバグダードでも、宰相となったアウン・アッディーンの世話になり、1年あまりのうちに『西方の驚異のいくつかを明らかにするもの』を完成させた。その後はモスルに移り、1162年に『理知の贈り物と驚異の精選』を、アブー・ハフス・アルダビーリーに献呈した。ガルナーティーは、アレッポに数年住んだのちにダマスクスに居を定め、1169年10月30日に同地で亡くなったという。1170年とする説もある。2つの著作が残る。前者は、故郷や旅の途中で見た国々と海の驚異をつづり、おおむね旅の順に記される。後者は、見聞のほか驚異についての多様な情報を、4つの章に分けて編んだものである。多くの見聞には、空想的な細部が付け加えられている。近代のヨーロッパでは、旅行記として、東欧や北欧についての貴重な記録に使われることが多い。
同じ年に亡くなった人物
- シール・クーフ (1169年没)
- トロス2世 (1169年没)
- Bertrand de Blanchefort (1169年)
- シャーワル (1169年没)
同じ地域に関係する人物
- サラーフ・ジャディード (1993年没)
- イブン・タイミーヤ (1328年没)
- ヘンリー・バックル (1862年没)
- Rida al-Rikabi (1942年没)
- ターリク・イブン・ズィヤード (720年没)