HISTORICAL PERSON · 紀元前190年代没

ペルガのアポロニウス

古代ギリシアの数学者・天文学者で、アレクサンドリアで活躍した。著書『円錐曲線』で楕円・放物線・双曲線を詳しく研究し、名称も彼に由来する。天文学では離心円と周転円の理論に貢献したと考えられている。

生涯
紀元前190年代没
死亡地
エジプト・アラブ共和国(アレクサンドリア県 / アレクサンドリア)
出生地
トルコ共和国(ペルゲ)
出典
世界地図
エジプト・アラブ共和国(アレクサンドリア県)

伝記

ペルガのアポロニウスは、古代ギリシアの数学者・天文学者である。生没年は紀元前262年頃から紀元前190年頃とされるが、近代の研究者が挙げる具体的な年は推測にすぎない。六世紀の注釈者エウトキオスは、彼を「パンフュリアのペルガの出身で、プトレマイオス3世エウエルゲテスの時代の人」と、アルキメデスの伝記作者ヘラクレイオスの記録として伝えている。当時の「時代」は統治者で示すのが常であったから、彼は紀元前246年より後に生まれたと考えられる。ペルガは現在のトルコにあたる小アジアの町で、ヘレニズム文化の中心のひとつだった。紀元前三世紀後半にはセレウコス朝とペルガモンのアッタロス家のあいだで支配者が何度も入れ替わっている。

伝記の情報は乏しい。ムセイオンで教育を受け、アレクサンドリアでプトレマイオス3世およびプトレマイオス4世の時代に活躍したと伝わり、アレクサンドリアで没したともいう。ただし「ペルガの」と呼ばれながら、彼がペルガで暮らしていた証拠は見当たらない。残された自伝的な資料は、むしろ彼がアレクサンドリアで生活し、学び、著述したことを示している。ペルガモンでしばらく暮らしたともされる。パッポスによれば、彼はユークリッドの弟子たちのもとでアレクサンドリアに滞在した。若い幾何学者の頃であり、おそらく修学の最終段階だったと考えられている。

自身について知る手がかりは、主著『円錐曲線』の各巻に付けた序文である。これは有力な友人に宛て、同封した巻の検討を頼む手紙の形をとる。第1巻と第2巻の序文はペルガモンのエウデモスに宛てられ、第1巻の序文は、最初の四巻が基礎を扱い、残る四巻が特殊な主題を扱うと述べる。この著作はもともと、アレクサンドリアに滞在していた幾何学者ナウクラテスの求めで書かれた。アポロニウスは八巻すべての初稿を彼に渡したが、「十分に手を入れていない」ものだとし、確かめて直したうえで一巻ずつ公表するつもりだったという。これを聞いたエウデモスは、公表前に各巻を自分にも送るよう求めた。第2巻の序文は、同名の息子に持たせて送っている。書きぶりは自信を増しており、エウデモスの研究会での使用を勧める。ラオディケイアのフィロニデスをエフェソスでエウデモスに紹介したことも記す。第3巻の序文は失われ、第4巻の序文には、その間にエウデモスが亡くなったとある。第4巻から第7巻の序文は簡潔で、私的な内容を欠き、いずれもアッタロスという人物に宛てられている。

『円錐曲線』では、円錐を頂点を通らない平面で切った断面の楕円・放物線・双曲線を詳しく研究した。その名称は、彼がそれぞれ「不足する」「一致する」「超越する」という意味の語で呼んだことに由来する。ユークリッドとアルキメデスの先行研究を受け継ぎ、解析幾何学の発明以前の水準にまで高めた。

天文学では、離心円や従円と周転円を用いた理論に貢献したと考えられる。主な資料は、二世紀のプトレマイオスが『アルマゲスト』で惑星の留を論じた部分の言及である。そこで示された、円の重ね合わせの順序を入れ替えても軌道は変わらないという指摘は、後にコペルニクスが太陽中心の体系を編み出す際にも使われたと想像されている。ただし貢献の度合いには解釈の幅があり、理論の性質はよくわからない。月面のクレーターにその名が付けられている。

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