伝記
デイヴィッド1世は、スコットランド王(在位1124年から1153年)である。生年は1083年から1085年の間とされ、1153年5月24日に没した。マルカム3世と2番目の王妃マーガレットの六男にあたり、正式に列聖されたことはないものの、カトリック教会では聖人として敬われ、祝日は5月24日である。
1093年、父王と兄エドワードがノーサンバーランドへの侵攻の際にアーン川で殺され、母もほどなく世を去った。デイヴィッドは兄のアレグザンダーやエドガーとともに、叔父ドムナル・バーンの圧迫を受けて亡命を余儀なくされたとされ、イングランドで過ごし、ノルマン風の教育を受けた。1100年ごろのデイヴィッドは宮廷の周縁にいる目立たない存在だったが、イングランド王ヘンリー1世が即位して姉イーディスを妃に迎えると、王の義弟として重んじられるようになった。ウィリアム・オブ・マームズベリは、この頃に彼がスコットランドの野蛮さを洗い落としたと記している。1107年(または1113年、1114年とも)には、ハンティンドン女伯モード(マティルダ)と結婚した。この結婚でイングランド中部に領地をもつイングランド貴族となり、イングランド王家とは二重の姻戚関係で結ばれた。
1112年から1113年ごろ、ヘンリー1世によってカンブリアの長官に任じられ、カーライルに着任した。反抗的な住民を抑えるための人事で、デイヴィッドはノルマン人の力を借りてカンブリアを抑え、スコットランド南西部も押さえたため、兄アレグザンダー1世にも重用された。1124年に兄が世継ぎを残さず死去すると王位を継いだが、支配権を確立するまでには、兄の子である甥マルカムとの戦いに約10年を要したとされる。
親イングランド政策をとり、封建制度を積極的に導入して、ブルース家、ベイリャル家、スチュワート家など、のちに王家となる家系を含むノルマン人の友人たちをスコットランドに招き、要職と土地を与えた。中央と地方の行政・司法の機構を整え、ノルマン流の改革で王権の強化に努め、ノルマン人によって石造りの城の建築ももたらされた。司教区を整備し、教会や修道院を建て、教育による人材育成にも意を用いた。都市や市場も新設し、度量衡を統一した。1149年にはイングランド北部から得たカーライルの貨幣鋳造所により、スコットランドで初めて貨幣を鋳造したとされる。こうした変化は、多くの研究者によって「デイヴィッド革命」と呼ばれる。
イングランドに所領をもつためヘンリー1世の封臣でもあり、1127年に娘のマティルダへ忠誠を誓った。1135年からイングランドでスティーブンとマティルダの王位争いが起こると、1136年にマティルダ支持を宣言して攻め込み、カーライルやニューカッスルを占領した。1138年にスタンダードの戦いで敗れ、これらをいったん失ったが、1139年にスティーブンと和睦してノーサンバーランドやカンバーランドの支配権を得た。1149年に大甥アンリ(のちのヘンリー2世)を騎士に叙した際には3州の領有を認められ、内乱を通じてイングランド北部を支配下に置いた。
息子ヘンリーに先立たれていたため、1153年にカーライルで没すると、王位はヘンリーの二人の息子、マルカム4世、次いでウィリアム1世に継がれた。国家と呼ぶにふさわしい国に仕立てた王として、最初の偉大な王と呼ばれる。
同じ年に亡くなった人物
- クレルヴォーのベルナルドゥス (1153年没)
- ムハンマド・ビン・アブドゥルカリーム・シャフレスターニー (1153年)
- エウゲニウス3世 (ローマ教皇) (1153年没)
- Shaykh Tabarsi (1153年)
- ウスタシュ4世 (ブローニュ伯) (1153年没)
同じ地域に関係する人物
- アンドリュー・ジェニングス (2022年没)
- エイリーク1世 (ノルウェー王) (954年没)
- Cliff Allison (2005年没)
- ジョン・リチャードソン (博物学者) (1865年没)
- ロバート・サウジー (1843年没)