伝記
サン・ヴィクトールのアダンは、1146年(1月とも伝わる)に没した、中世フランスの詩人であり、ラテン語の賛歌やセクエンツィアの作曲者である。パリで生まれたと考えられ、パリのノートルダム大聖堂のカントル(先唱者、聖歌隊長)を務めたのち、サン・ヴィクトール修道院に移った。中世のラテン語による典礼詩の最も偉大な詩人とされ、12世紀の典礼詩の復興を代表する人物と評されてきた。長いあいだ、同じ修道院の別の人物アダン・ル・ブルトン(1192年没)と混同されていた。
彼についての最初の記録は1098年のもので、ノートルダム大聖堂の文書に、はじめ副助祭として現れ、のちにカントルとなった。1107年ごろからカントルを務め、1133年ごろまで高位の聖職にあった。カントルとしては、「パリのマギステル・アルベルトゥス」の前任者にあたり、アルベルトゥスを教えたかもしれないともいわれる。1133年ごろ、大聖堂を離れてパリのサン・ヴィクトール修道院に移った。大聖堂にアウグスティヌスの会則を導入しようとして、それが原因で離れたのではないかと考えられている。修道院は当時、パリ郊外のサント・ジュヌヴィエーヴの丘にあった。移ってからは、亡くなるまでこの修道院の修復に尽くした。ピエール・アベラールやユーグ・ド・サン・ヴィクトールなど、当時の重要な神学者、詩人、音楽家とも交流があったと思われる。
彼の最大の貢献は、12世紀のパリでセクエンツィアの曲目が大きく増えるのを推し進めたことである。彼の詩は、既存のセクエンツィアの旋律に合わせて作られた。彼は何より音楽家であり、歌うために詩を作り、このジャンルを形式の面で最高の域にまで高めた。ラテン語の詩は音節の数にもとづいてリズムをとり、規則的で韻を踏む連からなる。言葉は明快で力強く、聖書から取った題材に立った、優雅な文体で書かれている。教会暦に沿った神学的なセクエンツィアと、聖人をたたえるセクエンツィアに分けることができ、聖母や聖人、信仰の神秘をたたえている。そのなかでも『世界の更新』は、春の自然の目覚めを主題とし、トルバドゥールの歌を思わせる。
百編ほどの詩が彼の名で写されたが、確かに彼のものといえるのは50編ほどで、そのうち14編は聖母マリアを歌っている。トマス・アクィナスの聖体についての詩は、彼に多くを負っている。37編の賛歌は、神学者ヨドクス・クリクトヴェウスの書物に収められて出版された。残りの賛歌は、サン・ヴィクトール修道院に、フランス革命による廃止まで保存されていた。のちにフランス国立図書館に移されて、そこでレオン・ゴーティエに見いだされ、ゴーティエは1858年にパリで最初の完全な版を出した。ただし、アダンの作とされるものの大半は推測にとどまる。
同じ年に亡くなった人物
- Helena, Queen of Hungary (1146年没)
- ザンギー (1146年没)
- 仁宗 (高麗王) (1146年没)
- エルマンガルド・ダンジュー (1146年没) (1146年没)
- エーリク3世 (デンマーク王) (1146年没)
同じ地域に関係する人物
該当人物はまだありません。