伝記
ベランジェ・レーモン1世は、1115年ごろ(1114年ともいわれる)に生まれ、1144年に没したプロヴァンス伯である。カタルーニャ語ではバランゲー・ラモンという。父はバルセロナ伯ラモン・バランゲー3世、母はプロヴァンス女伯ドゥース1世で、母はジェヴォーダン女伯でもあった。双子として生まれ、一緒に生まれたのが、のちのバルセロナ伯ラモン・バランゲー4世である。両親は、息子たちに先の世代の夫婦と同じ名を与えたとされる。1114年2月、両親がグラス修道院に寄進を行った文書に、兄とともに名が見える。1117年1月20日にも、両親がジローナの聖ペラ修道院に行った寄進に、副署している。
1130年に父は遺言を定め、1131年に父が亡くなると、兄がバルセロナ、タラゴナ、ジローナ、ウゾーナ、サルダーニャ、バザルー、カルカッソンヌ、ラゼスを継いだ。ベランジェ・レーモンは母の領地を受け継ぎ、プロヴァンス伯となった。このとき、母ドゥースの妹エティエネットの夫で、ボー領主レーモン1世は、まだ若い伯に対して領地の半分を求めた。以来、ボー家との争いが続き、ベランジェ・レーモンの治世はこの戦いに費やされた。
1132年、ベランジェ・レーモンは、メルグイユ伯領をめぐり、トゥールーズ伯アルフォンス・ジュルダンと継承戦争を戦った。アルフォンスは敗れた。同じ年、メルグイユ女伯家の相続人ベアトリスの叔父モンペリエ領主ギレム5世と、3年以内にベアトリスと結婚する婚約の契約を交わした。ベアトリスは、メルグイユ伯ベルナール4世とギエメット・ド・モンペリエの娘であり、その年に父を亡くしていた。結婚は1135年に行われ、一男が生まれた。
ベランジェ・レーモンは、ジェノヴァに対しても攻勢に出た。1144年、メルグイユで死んだとも、メルグイユの港で海賊に殺されたとも、ジェノヴァの艦隊とともに海賊と戦っている最中に殺されたともいわれる。死後、プロヴァンス伯位は、幼い息子レーモン・ベランジェ2世が継ぎ、叔父ラモン・バランゲー4世が後見人となって、その教育に心を配った。メルグイユ伯領は、1年ほどのちにベルナール5世ペレと再婚した妻ベアトリスのもとに残った。ベランジェ・レーモンは、1131年から1167年まで続くプロヴァンス伯家の祖となり、プロヴァンスはその後、アラゴン王アルフォンソ2世によって、アラゴン・バルセロナ家のものとなった。
同じ年に亡くなった人物
- William of Norwich (1144年)
- ペトロニラ・ファン・サクセン (1144年没)
- サロメ・フォン・ベルク=シェルリンゲン (1144年)
- ケレスティヌス2世 (ローマ教皇) (1144年没)
- ザマフシャリー (1144年没)
同じ地域に関係する人物
- ピエール・マリー・オーギュスト・ブルソネ (1807年没)
- Guillaume Bieganski (2016年没)
- フルク・ド・ヴィラレ (1327年没)
- フランソワ=グザヴィエ・ファーブル (1837年没)
- アンリ1世・ド・モンモランシー (1614年没)