HISTORICAL PERSON · 1143年没

マームズベリのウィリアム

イングランドの歴史家・ベネディクト会修道士。『歴代イングランド王の事績』などを著し、ベーダに次ぐ歴史家として後世高く評価された。

生涯
1143年没
死亡地
イギリス連邦(ウィルトシャー / マルムズバリ)
出生地
イギリス連邦(ウィルトシャー)
出典
世界地図
イギリス連邦(ウィルトシャー)

伝記

マームズベリのウィリアムは、1095年か1096年ごろにイングランドのウィルトシャーで生まれ、1143年ごろに没した12世紀イングランドを代表する歴史家で、ベネディクト会の修道士である。父はノルマン人、母はイングランド人で、生涯をイングランドで過ごし、成人してからはウィルトシャーのマームズベリ修道院の修道士だった。幼いころにこの修道院に入って学問に励み、のちに図書館司書を務めた。

修道院での教育には論理学や自然学も少し含まれていたが、最も力を注いだのは道徳哲学と歴史だった。経歴について本人が記した最も早い事実は、院長ゴドフリー(在任1081年〜1105年)を助けて、共同体の用に供する蔵書を集めたことである。ウィリアムは少なくとも200人あまりの著者の400点の著作を直接知っていたことが確かめられている。研究を重ねるなかで中世の歴史書を集め、ベーダの『イングランド教会史』にならった、広く読まれるイングランド史を書こうと考えた。『歴代イングランド王の事績』の序文には、ベーダへの敬意がはっきり表れている。

この構想を実現して、1125年に『歴代イングランド王の事績』を完成させた。ベーダにならって書かれたこの書は、449年から1120年までを扱う。のちに1127年まで増補・改訂し、グロスター伯ロバートに献じた。この「第2版」は、老境の円熟がうかがえる偉大なイングランド史の1つとされる。同じ1125年には、修道院と司教区を生き生きと描いた『イングランド司教たちの事績』も著した。イングランドの聖人となった高位聖職者たち、とくに学識があって奇跡を行ったマームズベリ修道院長アルドヘルムの生涯が語られている。この仕事のため、ウィリアムはイングランド各地を広く旅した。グラストンベリ修道院にもしばらく滞在し、友人のウィンチェスター司教で同修道院長のヘンリー・オブ・ブロワのために『グラストンベリ教会の古さについて』を書いた。

1139年に始まる無政府時代より前に、ウィリアムはマームズベリ城を所有するソールズベリ司教ロジャーと知り合った。この地元の有力者との縁と、『歴代イングランド王の事績』の好評があって、1140年にマームズベリ修道院長の地位を提示されたが、司書と学者の務めを好んで辞退した。公の場に姿を見せたのは、聖職者たちが皇后マティルダの支持を表明した1141年のウィンチェスター会議のときだけだった。1140年ごろからは、1128年から1142年までを扱う3巻の同時代史『現代史』を書きはじめ、スティーブン王の治世の無政府時代に関する重要な記述を残した。この書は、続きを書くという果たされなかった約束で終わっており、ウィリアムは約束を果たす前に亡くなったのだろうと考えられる。ほかに、自分の修道院の歴史と、いくつかの聖人伝も著した。

ウィリアムは、ベーダの後継者を自任した。文献史料を適切に集めて選び、吟味したこと、地名や記念物など文献以外のものからも情報を得たこと、合理的な歴史解釈を重んじたこと、またその出自ゆえに、ノルマン人とアングロ・サクソン人の双方に中立の立場で書いたことから、ベーダに次ぐイングランドの歴史家とされ、その著作は後世まで高く評価されている。

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