HISTORICAL PERSON · 1135年没

ハインリヒ (グロイチュ伯)

グロイチュ伯ヴィプレヒト2世の次男。マクデブルク城伯やオストマルク辺境伯を経て、1131年にラウジッツ辺境伯となった。マイセン辺境伯は継げず、子がなかったため遺領はコンラート1世が相続した。

生涯
1135年没
死亡地
ドイツ連邦共和国(ラインラント=プファルツ州 / マインツ)
出生地
—
出典
世界地図
ドイツ連邦共和国(ラインラント=プファルツ州)

伝記

ハインリヒ・フォン・グロイチュは、1090年ごろに生まれ、1135年12月31日に没した神聖ローマ帝国の領邦君主である。グロイチュ伯ヴィプレヒト2世と、ボヘミア王ヴラチスラフ2世の娘ユーディトの次男で、兄にヴィプレヒト3世がいた。のちにラウジッツ辺境伯となる。

父と兄は、ボヘミアの王位をめぐる争いに介入して皇帝ハインリヒ5世の不興を買った。兄ヴィプレヒト3世は1109年のボヘミア遠征ののち、王位を狙うボリヴォイ2世とともに皇帝に捕らえられ、ライン河畔のハンマーシュタイン城に幽閉された。弟のハインリヒも一緒に囚われ、1110年から1111年にかけての記録に名が見える。父ヴィプレヒト2世は息子たちを自由にするため、ニーザンとバウツェンの領地、およびライスニヒやモールンゲンの土地を皇帝に差し出さなければならなかったという。

1117年に子のいなかった兄が亡くなると、ハインリヒが父の跡継ぎとなった。1123年、父は皇帝からマイセン辺境伯領とラウジッツ辺境伯領を与えられたが、ザクセン公ロタールが皇帝の命令を認めず、マイセンをコンラート・フォン・ヴェッティンに、ラウジッツをアルブレヒトに与えたため、保てなかった。1124年に父が没すると、ハインリヒはマクデブルク城伯の地位を継いだものの、コンラートとアルブレヒトに対抗できず、グロイチュ伯領の一部と、母から受け継いだバウツェン、ツヴィッカウで満足するほかなかった。伯領の残りの部分は、ハインリヒの姉妹ベルタが治めていた。1126年には、ロタールの軍に加わってボヘミアへ遠征したが、失敗に終わった。

1128年、ハインリヒは熊公アルブレヒトから取り上げられたオストマルク辺境伯に任じられた。1131年には、皇帝からラウジッツ辺境伯領を戻され、ハレのノイヴェルク修道院の代官にもなった。それでも、父の治めたマイセンを手に入れようとする望みは、コンラート1世を前に実らなかった。妻はゲルンハウゼン伯ディートマールの娘ベルタといい、1133年、二人でビュールゲルの修道院を寄進した。

ハインリヒは1135年12月31日にマインツで亡くなった。ベルタとの間に子はなく、遺領はヴェッティン家のコンラート1世が相続した。妻のベルタは1137年に没したとされる。

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