伝記
キュレネのラキュデスは、アカデメイア派の懐疑主義の哲学者で、アテナイにあるプラトンのアカデメイアの学頭を務めた人物である。紀元前204年ごろに没したとされ、没年は紀元前206年か紀元前205年ともいわれる。著作は何も残っていない。
キュレネに生まれ、父の名はアレクサンドロスという。若いころは貧しかったが、勤勉であることと、愛想がよく人好きのする振る舞いで際立っていたという。のちにアテナイへ移り、中期アカデメイアに加わった。アルケシラオスの弟子で、紀元前241年にその跡を継いで学頭となり、26年にわたって学園を率いた。講義を行った場所は庭園で、「ラキュデイオン」と呼ばれた。この庭園は、友人のペルガモン王アッタロス1世が用意したものである。
ラキュデスがアカデメイアに身を寄せた理由については、エウセビオスがヌメニオスから引いた逸話がある。それによれば、召使いたちが見つかることなく彼の物を盗み続けたため、感覚による証拠は頼りにならないと確信したのだという。この逸話は、ディオゲネス・ラエルティオスやヌメニオスの語るところでは、さらに細かく伝わっている。ラキュデスは貯蔵室の戸に鍵をかけ、錠を蝋で封じて自分の印章を押した。しかし召使いたちはその様子を見ており、欲しい物を取ったあと、同じ印章を押して封をし直した。物が消える理由を説明できなくなったラキュデスは、合理的な説明を探すことを早々に諦め、懐疑主義に傾いたという。召使いたちは、ラキュデス自身の哲学を逆手にとり、封が破られて押し直されたのかどうか、新しい印と前の印をどう区別するのかと詰め寄った。ラキュデスは論証で応じたが、召使いたちは動じず、この論争は貯蔵室が空になるまで続いたという。疲れ果て、蓄えも尽きたラキュデスは、「議論ではこう語るが、暮らしはそうではない」と認めざるをえなかったとされる。ただし、この話はエウセビオスが引くヌメニオスのものとして伝わり、事実かどうかには疑いが持たれている。
哲学上の見解では、アルケシラオスの考えにきわめて近かったとされる。『自然について』と題するものを含む論考を書いたといわれるが、残っていない。皮肉なユーモアに富む逸話がいくつか伝わり、洗練された人柄で、勤勉な働き手、巧みな弁論家という評判があった。
健康を損ねたため、紀元前216年または紀元前215年に学頭の職を辞した。最後の10年ほどは、エウアンドロスとテレクレスの率いる評議会が学園を運営し、ラキュデスの死後は、この二人が共同でアカデメイアを率いたとされる。ディオゲネス・ラエルティオスは飲みすぎで死んだと伝えるが、エウセビオスが讃辞のなかで万事に節度のある人だったと述べているため、この説は疑わしいとされる。