HISTORICAL PERSON · 1120年没

ボードゥアン3世 (エノー伯)

エノー伯。伯爵令嬢との婚約破棄がスキャンダルとなり教皇カリストゥス2世まで介入する騒動となったが、結局その結婚は解消できないとされた。

生涯
1120年没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

ボードゥアン3世は、1088年、エノー伯ボードゥアン2世とイド・ド・ルーヴァンの息子として生まれた。母はルーヴァン伯アンリ2世の娘であった。父は1098年にパレスチナで没し、息子がエノー伯位を受け継いだ。その継承年は1098年とも1102年ともいわれる。ボードゥアンは、父がロベール・ル・フリゾンによって失ったフランドルの獲得を目指した。皇帝を中心としてフランドル伯に対抗する連合に加わり、1105年に攻撃したが、連合は敗れた。

若い頃、フランドル伯ロベール2世の妻クレマンティーヌ・ド・ブルゴーニュの姪、アデル・ド・モーリエンヌと婚約した。しかし、この婚約を破棄してヨランデ・フォン・ゲルデルンとの結婚を選んだ。ヨランデはゲルデルン伯ヘラルト1世の娘であり、結婚は1107年とされる。この婚姻によって、フランドルを手に入れるための援助が得られると期待した。ヨランデとの間には、長男ボードゥアンのほか、ジェラール、ジェルトリュード、リシルドが生まれた。

フランドルをめぐる争いでは、先の敗北を受けて1110年にカンブレーを相手方へ引き渡した。さらにフランドル伯シャルル・ド・ダヌマルクに対する連合にも加わったが、この試みも成功しなかった。また、アデルとの破談は紛争を引き起こした。クレマンティーヌは弟である教皇カリストゥス2世に問題を持ち込み、教皇はヨランデとの結婚を合法と認め、解消することはできないと宣言した。

1120年、30代の若さで死去し、モンスに葬られた。狩猟の後に亡くなったともいわれる。長男がボードゥアン4世としてエノー伯を継いだものの、まだ年少であったため、ヨランデがしばらく伯領を管理し、息子の摂政を務めた。一方、次男ジェラールは母が所有していたドデワールト伯領とダレ伯領を相続し、ダレ伯家の祖となった。ヨランデは夫の死後、リブモンとブシャンの領主でヴァランシエンヌ城主でもあるジョフロワ2世と再婚した。この再婚によってジョフロワ3世とベルトが生まれ、ジョフロワ3世はヴァランシエンヌ城主となった。

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