伝記
カンタベリーのエアドメルスは、1060年ごろ、ノルマン人によるイングランド征服の前にアングロ・サクソン人の家に生まれた。教会史家、神学者として著作を残した人物である。カンタベリーのクライスト・チャーチに入り、ベネディクト会の修道士となった。そこで、ベック修道院長としてイングランドを訪れていたアンセルムスと知り合った。1093年にアンセルムスがカンタベリー大司教となると、両者の親交は改めて深まった。エアドメルスは弟子として学ぶだけでなく、友人としても大司教を支え、教皇ウルバヌス2世によってその側近としての役割を正式に認められた。
教会の活動に携わる一方、エアドメルスは聖母マリアへの信仰を論じた。『聖母マリアの御やどりについて』では、マリアを原罪の汚れのない存在とする考えを擁護した。キリストが人間として完全であるためには、その母も罪から自由でなければならないと論じたのである。これに対してアンセルムスは、原罪を免れる人間を認めることは、神が人となる必然性を損なうと考えた。師弟の間でも、この点では見解が一致していなかった。エアドメルスの主張には、征服後の典礼改革で廃されたカンタベリーのアングロ・サクソン系の信仰慣行を回復しようとする意図もあったとみられる。
1120年、スコットランドのセント・アンドルーズに当たるケル・リークモネの司教に選ばれた。しかし、スコットランド側はカンタベリー大司教座の権威を認めなかった。エアドメルスは結局、司教としての叙階を受けることなく、ほどなくその地位への権利を辞退した。その後の著述では、1066年から1122年までのイングランドを扱う『イギリスにおける新時代の歴史』を残した。主題は主に教会の出来事であり、アンセルムスの公的な活動を記すとともに、ヨークに対するカンタベリー大司教座の優位を支持する立場を示している。
1124年ごろには『アンセルムス伝』が書かれた。エアドメルス自身が親しく接した大司教の生涯を伝える、同時代の伝記である。このほかドゥンスタン、ブレグウィン、オズワルドらの伝記も著した。没年は1126年、またはそれ以後とされるが、1123年1月13日を命日とする説もある。聖母についての著作は後にアンセルムスの作と誤認され、そのことが12世紀のイングランドとフランスで無原罪の教義が広まる一因になった可能性がある。
『アンセルムス伝』は1551年にアントウェルペンで初めて印刷された。『イギリスにおける新時代の歴史』は1623年にジョン・セルデンが最初の編纂を行った。1835年にはランカシャーのブリーズデールに、エアドメルスを記念する教会が建てられた。これは同名の古い礼拝堂の跡地に建ち、イギリスでエアドメルスに捧げられた唯一の教会とされる。1884年にはマーティン・ルールが『新時代の歴史』を『アンセルムス伝』とともにロールズ・シリーズに収めた。1963年にはリチャード・ウィリアム・サザンが『アンセルムス伝』の対訳版を編み、翌年にはジェフリー・ボサンケットが『新時代の歴史』を翻訳した。多くの著作の写本は、ケンブリッジ大学コーパス・クリスティ・カレッジのパーカー図書館に保存されている。
同じ年に亡くなった人物
- ヴェルフ2世 (バイエルン公) (1120年没)
- エウティミオス・ジガベノス (1120年没)
- ボードゥアン3世 (エノー伯) (1120年没)
- ジェラルド (1120年没)
- エドガー・アシリング (1120年代没)
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