HISTORICAL PERSON · 紀元前210年没

グナエウス・フルウィウス・ケントゥマルス・マクシムス

共和政ローマの政治家。執政官としてハンニバルの猛攻からローマを防衛したが、後に総督として戦った際に奇襲を受け戦死した。

生涯
紀元前210年没
死亡地
イタリア共和国(フォッジャ県 / オルドーナ)
出生地
古代ローマ
出典
世界地図
イタリア共和国(フォッジャ県)

伝記

グナエウス・フルウィウス・ケントゥマルス・マクシムスは、共和政ローマの政治家・軍人である。生年は不明で、紀元前210年に没した。父は紀元前229年の執政官グナエウス・フルウィウス・ケントゥマルスとされる。第二次ポエニ戦争のさなかに公職を歴任し、紀元前211年には執政官(コンスル)に選ばれてハンニバルの脅威からローマを守ったが、のちに戦場で命を落とした。

公職の経歴は按察官から始まる。紀元前214年(紀元前215年とする説もある)に按察官を務め、同僚のプブリウス・センプロニウス・トゥディタヌスとともに、舞台劇などの競技会を初めて4日間にわたって催した。この按察官の在任中に翌年の法務官に選ばれたという。紀元前213年には法務官となって軍の指揮権を持ち、二個軍団を率いてスエッスラに駐屯した。この年、ハンニバルとの同盟を破棄することを決めたカプアから、112人の貴族たちが訪ねてきた。フルウィウスは面会を求める彼らを武装解除させたうえで、そのうちの10人と話をした。彼らの望みは、カプアを奪還した暁には本来の財産を返してほしいということだったため、フルウィウスは彼らを迎え入れた。ハンニバルを見限ったカプアの騎士たちはこうしてローマ軍に加わり、フルウィウスの軍勢は増強された。

紀元前211年、フルウィウスはプブリウス・スルピキウス・ガルバ・マクシムスとともに執政官に就いた。二人は3月のイドゥスの日に就任するとすぐ元老院をカピトリウムに招集し、政治情勢や戦争の遂行、各地の属州と軍隊の問題について諮った。その結果、必要と考えるあらゆる手段で増援兵を徴募するよう命じられた。このころハンニバルが首都ローマに迫ったが、二人の執政官は前年の執政官クィントゥス・フルウィウス・フラックスとともに、ローマ市の防衛にあたる措置をとった。

フルウィウスの担当属州はアプリア(現在のプッリャ州)であったが、そこへ赴いたのは危機が去った後のことだったという。年の終わり近く、翌年の執政官を選ぶ民会を開くためにローマへ戻った。一方、同僚のスルピキウスはギリシアでの軍の指揮を任された。この選挙では、若い者たちの百人隊が先に投票してティトゥス・マンリウス・トルクァトゥスらを選んだが、トルクァトゥスは健康上の理由を挙げて強く辞退した。次の投票で選ばれたのが、マルクス・クラウディウス・マルケッルスとマルクス・ウァレリウス・ラエウィヌスである。

紀元前210年、フルウィウスは指揮権を延長され、プロコンスル(前執政官)としてひきつづきアプリアを担当した。二個軍団と同盟軍の二個の翼を率いていた。アプリア北方の、ハンニバル側に離反したヘルドニア(現在のオルドーナ)を包囲して攻めたが、警戒を怠っていたため、ハンニバルの奇襲を受けて大敗した。これが第二次ヘルドニアの戦いである。フルウィウスは十人あるいは十一人の軍団副官らとともに戦死した。

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