伝記
イブン・ジャズラは、十一世紀のバグダードで活動したアラブ人の医師である。アブー・アリー・ヤヒヤー・イブン・イーサー・イブン・ジャズラ・アルバグダーディーという名を持つ。ネストリウス派キリスト教徒の両親のもとに生まれ、同市で成長したが、生年は明らかではない。言語、論理学、神学を学び、医師サイード・イブン・ヒバトゥッラーに医学を学んだ。師もまたカリフのムクタディーに仕えた医師であった。医学の修業中には、バグダードのハナフィー派の裁判官が生活を助け、知恵の館で写字生として働けるようにした。ムウタズィラ派の師アブー・アリー・イブン・アルワリードの影響を受け、一〇七四年にイスラームへ改宗した。改宗後はイスラームを称賛し、キリスト教やユダヤ教を批判する著作も残した。
バグダードのカルフ地区に住み、アッバース朝のカリフ、ムクタディーに仕える医師の一人となった。身近な人々や知人、友人を無償で診療し、薬や飲み薬も代金を取らずに届けた。貧しい人々の様子を気にかけて援助し、医学を困窮者を助けるための人間的な仕事と考えていた。薬剤や薬草の扱いにも通じ、治療に使う肉や植物、化学的な調製品を記述した。皮膚病、とくに頭部の脱毛症や潰瘍などの治療に取り組み、小児の医学にも関心を持った。また、病気の治療と予防に音楽が役立つと考えていた。
代表作『人体の管理についての身体の一覧』では、天文学の表で星を配列するように、病気を一覧表にまとめた。三百五十二の病気について治療法を示し、がんを含む疾病を臨床的に記述した。病気や疫病が現れる時期、それらが広がる地域、診断の方法、治療の仕方を整理し、人体の各部とその病気を順に扱った。表は、当時の一般の教養ある人にも使いやすいように作られていた。患者の心理的、社会的な状態と、かかり得る病気との関係にも目を向けている。病名と治療を表の中で対応させる方法が、この著作の特徴であった。
薬物に関する『人が用いるものを明らかにする道筋』は、カリフのムクタディーのために書かれ、薬剤と薬草を文字の順に並べたものである。薬用植物とその治療上の作用を記し、調合薬についての仕事も残した。ほかに頭部の病気を扱う書物、医学を称賛して宗教法との一致を論じる書簡、六つの要因を通じて健康を保つ方法を説く著作などがある。病気の管理と原因・症状の知識を扱った著作では、それぞれの病気について短い表を作った。病理や治療だけでなく、薬物と予防にも執筆の範囲を広げたのである。
一一〇〇年、バグダードで死去した。その著作は後にラテン語へ訳された。西方では、著者名もブーハイリーハ・ビンゲズラなどの形で伝えられた。身体と疾病の一覧を扱う著作は、一二八〇年にシチリアのユダヤ人医師ファラジュ・ベン・サーリムが翻訳し、一五三二年にはラテン語版がストラスブールで刊行された。翌一五三三年にはハンス・ショッテがドイツ語訳も同地で出版した。別の薬物に関する著作もジャンボリヌスによってラテン語訳された。一方、シャルルマーニュに仕えて執筆したという逸話も生まれたが、八一四年までの皇帝であったシャルルマーニュとイブン・ジャズラでは活動年代が一致せず、この話には歴史的な根拠がない。
同じ年に亡くなった人物
- ブジェチスラフ2世 (1100年没)
- クレメンス3世 (対立教皇) (1100年没)
- 赤染衛門 (1100年(推定))
- ウィリアム2世 (イングランド王) (1100年没)
- 紫式部 (1100年(推定))
同じ地域に関係する人物
- カーディル (1031年没)
- Maruf Karkhi (815年没)
- アブドルカリーム・カーシム (1963年没)
- ヌーリー・アッ=サイード (1958年没)
- ザーヒル (1226年没)