HISTORICAL PERSON · 紀元前241年没

アギス4世

スパルタ王。リュクルゴス制度の復興を掲げ債務免除を実施したが土地再分配は進まず、クーデターにより処刑された。

生涯
紀元前241年没
死亡地
ギリシャ共和国(ペロポネソス / スパルタ)
出生地
ギリシャ共和国(スパルタ)
出典
世界地図
ギリシャ共和国(ペロポネソス)

伝記

アギス4世は、スパルタ末期のエウリュポン朝第25代の王である。紀元前265年に生まれ、紀元前241年に没した。エウリュポン家の出身で、先王の長男にあたる。即位は紀元前245年とも紀元前244年ともされ、そのとき二十歳ほどだったという。治世は四年ほどにとどまったが、危機に陥った祖国の改革に挑んだ王として、同名の王たちのなかで最も名高いとされる。

当時のスパルタは深刻な社会危機のなかにあった。本来この国は二つの王家と長老会によって運営されていたが、実際には一部の貴族が政権を握っていた。富と贅沢が少数者の手に集まり、貴族層は奢侈に流れ、国民は貧窮にあえいでいた。完全な市民権をもつ古来のスパルタ人は少数派になり、市民の数は減り続けていた。背景には、エピタデウスの導入した革新がある。すべての家長に等しい土地の割当てを保証していた法が廃されたため、土地は少数の手に集まり、百ほどの家だけが土地を持ち、貧しい者は借財に苦しんだ。富の流入によって、少年たちの教育制度であるアゴゲなど伝統的な制度も変質していた。

アギスは若いころから、スパルタの伝統に愛着を示していたという。その思いは、悪弊をなくして伝説的な立法者リュクルゴスの制度を取り戻そうとする改革につながった。彼が重んじたのは権力そのものより、スパルタを救うための社会の変革であった。そこで全ての債務の帳消しと、土地の再分配を提案した。さらに、ラコニアやメッセニアの自由民でありながら市民ではないペリオイコイにも土地を与えることを構想した。研究者の多くは、彼の計画がもともと制度の革命を含んでいなかったと見ている。監督官(エフォロス)の職も二王制も廃止するつもりはなく、ライバルのレオニダスを退位させたときも、すぐに後任を立てたからである。できるなら法の枠内で平和的に改革を進めたかったのだろうという。

改革を進めるにあたり、アギスは有力な二人の支持を得た。一人は叔父で、広い土地を持つ一方、貸借に深く関わっており、改革で債務から解放されることを望んでいた。もう一人はリュサンドロスで、アイゴスポタモイの海戦の勝者の子孫にあたる。アギスの働きかけでリュサンドロスは監督官に選ばれ、長老会で改革案を説いた。案では、スパルタの土地を二つに分けるとされた。一方は等しい区画に分けてスパルタ人に与える。その際、ペリオイコイのうち最も立派な者たちを市民団に加えて数を増やす。もう一方は残りのペリオイコイに分け与える。分配が主に市民へ向かうため、平等の理想より軍事上の関心に応えた改革に見えるという。

長老会の票は割れ、多数を得られなかった。そこでリュサンドロスは民会を開き、アギスが自らの案を諮った。アギスはまず自分の土地と財産を手放すと申し出た。さらに、富も人脈も政治的な支持もある自分の家族がこれに続くだろうと述べた。この寛大さに群衆は拍手を送った。しかし土地の再分配が遅れると、市民の反感を招いた。またアギスは、アイトリア人との戦争のためにスパルタを離れざるをえなかった。その間に反革命が起こり、敵対者たちが政権を握って、主な対立者のレオニダス2世を呼び戻した。帰国したアギスはアテナ・カルキオイコスの神殿に逃げ込んだが、監督官たちに孤立させられた。紀元前241年の秋、レオニダス2世のクーデターのなかで、改革を支えた母と祖母とともに殺された。後世、アギスは理想主義者であり、改革を押し通す現実感覚に欠けたと評価されている。王位は子が継いだ。

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