HISTORICAL PERSON · 1074年没

アンリ・ド・ブルゴーニュ

ブルゴーニュ公国の公子。自身は公位を継げなかったが、五男アンリの子アフォンソ1世は後にポルトガル王国初代国王となった。

生涯
1074年没
死亡地
フランス王国(アンドル県 / フランス王国)
出生地
—
出典
世界地図
フランス王国(アンドル県)

伝記

アンリ・ド・ブルゴーニュは、ブルゴーニュ公ロベール1世の息子で、公位を継ぐ立場にありながら父に先立って死去した公子である。1035年頃に生まれ、母はスミュールのダルマ1世の娘エリーであった。父ロベール1世はフランス王ロベール2世とコンスタンス・ダルルの息子であり、アンリはフランス王家につながるブルゴーニュ公家の一員であった。兄ユーグが戦死したため、存命の男子の中ではアンリが父の後継者となった。実妹コンスタンスはレオン王アルフォンソ6世と結婚して王妃となり、異母妹イルドガルドはアキテーヌ公妃となっている。

妻の名と出自は確定していない。シビーユともクレマンスともいわれ、ブルゴーニュ伯ルノー1世の娘とする見方もある。シビーユという名は、ブルゴーニュ公の母と記された女性をアンリの妻に当てはめる考えに結びつくが、この女性は息子ウード1世の妻であった可能性もある。クレマンス説はウードの子孫に同名が繰り返される点に基づくものの、ウードの妻にもクレマンティーヌという姉妹がおり、そこから伝わった名とも考えられる。また、アンリの妻をバルセロナ伯バランゲー・ラモン1世とギズラ・ダ・リュサの娘とみる説もあるが、確証はない。息子の一人がボレルという呼び名を持つことなどから、バルセロナ伯家とのつながりが推測されている。

夫妻の子には、1057年生まれの長男ユーグ、1058年生まれのウード、1059年生まれのロベールがいた。ロベールはラングル司教となった。1061年生まれの娘エリーは修道女となり、1063年生まれのベアトリスはヴィニョリー領主ギー3世と結婚した。息子ルノーはサン・ピエール・ド・フラヴィニー修道院の院長となっている。末子アンリは1066年に生まれた。父アンリの死は1070年とも1074年ともいわれ、1月27日とされる。父ロベール1世より早く世を去ったため、自らブルゴーニュ公の称号を帯びることはなかった。

アンリの死後、長男ユーグ1世、次いでウード1世がブルゴーニュ公位を継いだ。末子のアンリは、レオン王アルフォンソ6世の庶出の娘テレサと結婚し、1093年からポルトゥカーレ伯となった。この末子とテレサの間に生まれたアフォンソ1世がポルトガルの初代国王となる。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物