HISTORICAL PERSON · 1072年没

サンチョ2世 (カスティーリャ王)

カスティーリャ王(在位1065〜72年)。父の死後に分割された王国の統一を狙い、弟アルフォンソ6世を破ってレオンも併合したが、サモラ攻囲中に暗殺された。エル・シッドの主君として知られる。

生涯
1072年没
死亡地
スペイン王国(サモラ県 / サモラ)
出生地
スペイン王国(サモラ)
出典
世界地図
スペイン王国(サモラ県)

伝記

サンチョ2世は、カスティーリャ=レオン王フェルナンド1世と、レオン王アルフォンソ5世の娘サンチャの長男である。生年は1038年、1039年、1040年とされ、「強王」と呼ばれた。弟にアルフォンソ6世とガルシア2世、姉妹にエルビラとウラカがいた。幼い時期をカスティーリャで過ごし、各地の修道院の文書に名を連ねた。1060年から1065年には、父からカスティーリャ東方の国境を任された。1063年、アラゴン王ラミロ1世がサラゴサを攻めると、父の命令を受けて救援に向かった。イスラム教徒のサラゴサ王はカスティーリャに貢納金を納めており、宗教の違いを越えた保護関係が成立していた。このグラウスの戦いでラミロ1世は戦死した。1065年には貢納を拒んだサラゴサを父とともに攻め、さらにバレンシアを包囲しようとしたが、父の病気のためレオンへ引き返した。

フェルナンド1世は王領を子供たちに分ける遺言を残した。サンチョには王国となったカスティーリャとサラゴサの貢納金、アルフォンソにはレオンとトレドの貢納金、ガルシアにはガリシアとセビリアなどの貢納金を受ける権利が与えられた。姉妹にも王家の修道院に対する権利や収入が分配された。サンチョは1065年12月27日にカスティーリャ王位に就き、ロドリーゴ・ディアス、すなわちエル・シッドを軍の要職に抜擢した。しかし長男である自分こそ父の領土すべての正当な継承者だと考え、分割を受け入れなかった。サラゴサとの従属関係を更新する一方、従兄弟のナバラ王サンチョ4世、アラゴン王サンチョ1世とも戦い、かつて父がナバラに与えた国境地帯の一部を回復した。

1067年に母が死去すると、兄弟間の争いが始まった。翌1068年のルランタダの戦いではアルフォンソに勝利したが、敗者の王国を勝者へ渡すという約束は実行されなかった。その後は弟と提携し、末弟ガルシアの領土を狙った。1071年、ガリシアへ侵入してガルシアを破り、ブルゴスに幽閉したのちセビリアへ追放した。サンチョとアルフォンソはともにガリシア王を称したものの、この協力関係は続かなかった。サンチョはレオンの獲得を断念せず、1072年にはエル・シッドの率いる軍がゴルペヘラでレオン軍を破った。アルフォンソは捕らえられ、サンチョは1月12日にレオン王として戴冠した。司教や貴族の反対を受けながら、父が分けた王国を再び自分のもとに集めたのである。

アルフォンソはウラカの仲介を経て逃れ、トレドに身を寄せた。レオンの有力貴族ペドロ・アンスレスも、アルフォンソに従って亡命した。ウラカの支配するサモラにはサンチョに反対する貴族が集まり、ペドロ・アンスレスらとともに抵抗した。サンチョはこの都市を包囲したが、1072年10月7日、ベイード・ドルフォスという男に暗殺された。男は守備側の秘密を明かす脱走兵を装って近づいたとされる。事件の背後にアルフォンソとウラカがいたともいわれるが、確かなことは分からない。サンチョの死後は帰還したアルフォンソがカスティーリャとレオンを継ぎ、さらにガルシアも捕らえてガリシアを掌握した。サンチョが戦いによって集めた王国は、弟のもとに受け継がれた。

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