伝記
アヴォワーズ・ド・ブルターニュは、1066年から1072年までブルターニュの公位を継いだ女性である。レンヌ家のブルターニュ公アラン3世とベルト・ド・ブロワの第二子として生まれた。生年は1037年頃とも、それより前ともいわれる。母ベルトはブロワ伯ウード2世とエルマンガルド・ドーヴェルニュの娘であった。父アラン3世は、若いノルマンディー公ギヨームの後見人の一人で、1040年、ノルマンディーのヴィムティエ付近で反乱した城を包囲していた際に急死した。毒殺されたともいわれる。
父の死後、公位を継いだのは兄コナン2世であった。まだ幼かった兄は母の保護を受け、叔父であるパンティエーヴル伯ウード1世が摂政となった。コナンが成年に達すると、母ベルトはメーヌ伯ユーグ4世と再婚した。アヴォワーズ自身も1058年より前に、コルヌアイユ伯オエルと結婚したとされる。オエルはコルヌアイユ伯アラン・カニアールとジュディット・ド・ナントの息子で、ナントの伯家にもつながっていた。
1066年12月11日、兄コナン2世はアンジューに入った際に死亡した。毒殺とされ、嫡出の子を残さなかったため、アヴォワーズが相続人となってブルターニュの公位を継承した。夫オエルは妻の持つ権利によって公の権力を行使し、オエル2世となった。この相続によって、公国の支配はレンヌ家からコルヌアイユ家へ移った。ただしレンヌ伯領は、アヴォワーズの異母兄弟であるジョフロワ・グルノナが奪い、その支配から離れていた。公位の継承と、レンヌ伯領を実際に掌握することとは一致しなかったのである。
夫妻の子には、後にブルターニュ公となるアラン4世、ナント伯位を受け継いだマチュー、ウード、ブノワらがいた。娘アデルは1085年からサン=ジョルジュ・ド・レンヌ女子修道院長を務め、1152年に没した。同名の娘アヴォワーズも同修道院の1085年の特許状に名を残し、イルドベルジュはジョフロワ・ド・マイエンヌと結婚した。1072年頃には、アヴォワーズ本人も夫オエル、息子アラン、マチュー、ウードとともにルドン修道院の文書に現れている。
アヴォワーズは1072年8月19日に没した。夫はその後も息子の摂政として政治を続けたが、1075年から1077年にかけ、ブルターニュの諸侯による反乱に直面した。その反乱にはジョフロワ・ボトレルやジョフロワ・グルノナに加え、オート・ブルターニュとコルヌアイユの領主たちも参加した。1084年にオエル2世が死去すると、長男アラン4世が単独のブルターニュ公となった。
同じ年に亡くなった人物
- ロマノス4世ディオゲネス (1072年没)
- アブル・カースィム・クシャイリー (1072年没)
- ペトルス・ダミアニ (1072年没)
- バグラト4世 (ジョージア王) (1072年)
- ヘリワード・ザ・ウェイク (1072年)
同じ地域に関係する人物
- ジョルジュ・ルクランシェ (1882年没)
- ルイ・バシュリエ (1946年没)
- ジュスト・ジャカン (2022年没)
- アラン4世 (ブルターニュ公) (1119年没)
- コンスタンス・ド・ノルマンディー (1090年没)