HISTORICAL PERSON · 1067年没

バフマニヤール

イランの学者でアヴィセンナの弟子。ライで哲学を学び、行政にも携わった。ゾロアスター教徒の家の出とされる。

生涯
1067年没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

バフマニヤールは、アブー・アリー・イブン・スィーナー(アヴィセンナ)の弟子として知られるイランの学者である。正しくはアブー・ル=ハサン(アブー・ル=フサインともいう)・バフマニヤール・イブン・アル=マルズバーンといい、没年は1066年とされるが、1067年没とされる場合もある。師のイブン・スィーナーは1037年に没している。

ゾロアスター教徒の家に生まれ、家はイラン北部のアゼルバイジャンの出ともいわれる。父は、10世紀末にマーザンダラーンを治めたバーワンド家の君主アル=マルズバーンで、『マルズバーン・ナーマ』の著者その人であった可能性がある。アラビア語の知識は完全ではなかったとされる。生涯についてはほとんど分かっておらず、北イランのブワイフ朝の都市レイで、アブー・ル=カースィム・アル=キルマーニーとともに哲学の勉強を始めたらしい。二人はそこで行政にも携わりながら、イブン・スィーナーの著作を読んだという。バーワンド家の王女サイイダ・シーリーンやその夫ファフル・アル=ダウラ、息子マジド・アル=ダウラとの縁を通じ、レイのブワイフ朝の宮廷に連なっていた可能性もある。

やがてバフマニヤールはイブン・スィーナーと交流するようになる。これが、のちにイブン・スィーナーが著した『討論の書(アル=ムバーハサート)』につながった。この書は主にバフマニヤールの質問への答えからなり、1024年から1037年のあいだ、カークイド朝の統治者ムハンマド・イブン・ルスタム・ドゥシュマンズィヤールの都イスファハーンに師が滞在していたころにまとめられた。書の中でバフマニヤールは「高貴な紳士(アル=シャイフ・アル=ファーディル)」と呼ばれている。二人は1014年か1015年ごろ、イブン・スィーナーがサイイダ・シーリーンとマジド・アル=ダウラのもとで働いていたレイで、すでに出会っていたかもしれないという。

主著は『総括の書(キターブ・アル=タフスィール)』で、イブン・スィーナーの論理学・自然学・形而上学を要約したものである。これも1024年から1037年のあいだに書かれ、ゾロアスター教徒であった叔父のアブー・マンスール・バフラームに捧げられた。この叔父は、ブワイフ朝のアドゥド・アル=ダウラの財務官の子であった可能性がある。12世紀のアブー・ル=ハサン・バイハキーは、バフマニヤールが論理学の書と音楽の書も著したと記しており、ほかにも著作が帰されている。

信仰については、イスラームに改宗したと伝えられる。主著の序文と結びはイスラーム的な調子で書かれているが、それが原本にあったのか、のちに書記が加えたのかは分からない。それでも、神の唯一性や、善と悪の闘争を、神の本質ではなく被造物の秩序の内にあるとする考え方から、改宗は十分ありうるとされる。また、クンヤ(通称)のアブー・ル=フサインは、シーア派への改宗を示すものかもしれないといわれる。

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