伝記
サンチャ・アルフォンセス・デ・レオンは、11世紀のレオン王国の王女であり、初代カスティーリャ王フェルナンド1世の妃である。1018年ごろに生まれ、1067年11月に没した。没日は、11月7日とも8日ともいわれる。父はレオン王アルフォンソ5世、母はその最初の妃エルビラ・メネンデスである。兄に、父の跡を継いでレオン王となったベルムード3世がいる。サンチャは兄の1年後、1018年ごろに生まれたと推定されている。乳母はフロニルデ・グンデマリスで、幼いころはこの乳母とともにピアデラで過ごしたと考えられている。のちに宮廷に移り、サン・ペラヨ修道院の在俗の修道院長となった。この修道院は、後にサン・イシドロ参事会教会となった。
最初の縁談は、1029年に決まったカスティーリャ伯ガルシア・サンチェスとの結婚であった。ガルシアは王女に会うためレオンを訪れたが、旅の途中、あるいは市内で、不満を抱いた家臣らによって殺害されたと伝えられる。別の記述では、殺害したのはベラ家で、1028年5月13日にレオンの街頭でのことだったとされる。婚約者の死を受けて、サンチャは宮廷から遠ざかった。ガルシアの死後、カスティーリャ伯領はナバラ王サンチョ3世の息子フェルナンドの手に渡った。実際に領内で権力をふるっていたのは父のサンチョであったという。サンチョは、サンチャをフェルナンドに嫁がせることを兄ベルムードに提案し、ベルムードはこれを受け入れた。サンチャは宮廷に戻り、1032年、おそらくブルゴスで、フェルナンドと結婚した。結婚式には、レオン王である兄ベルムードとパンプローナ王である舅のサンチョ3世が出席する盛大なものであったとされる。このときフェルナンドは11歳であった。
1037年、タマロンの戦いで、フェルナンド1世はサンチャの兄ベルムード3世を討った。ベルムードには跡継ぎがなかったため、サンチャがレオン王国の継承者となり、夫のフェルナンドもレオン王となった。ただし、レオン女王あるいは王妃としてのサンチャの立場ははっきりしない。サンチャは自らの権利によって兄の跡を継ぎ、王位継承の権利を子に伝える存在であったが、女王とは明確に呼ばれなかった。当時は、女性が実際の権力を持つ女王として認められる時代ではなかったためともされる。フェルナンドは、妻の権利によって王となった、いわゆる「妻の権利による王」であったとされる。夫の死後もサンチャは生きていたにもかかわらず、王位は息子が継いだ。
サンチャは敬虔なカトリック教徒で、夫とともに、サン・イシドロ教会への贈り物として、二人の名を冠した十字架の制作を依頼した。二人はまた、レオンのサン・イシドロ参事会教会の建設を命じ、セビリャから運ばれた聖イシドロの聖遺物がここに納められた。1065年に夫に先立たれたのち、サンチャは息子たちの間の平和を保とうとしたが、成功しなかった。
サンチャはレオンで世を去り、サン・イシドロ・デ・レオン教会の王室霊廟に葬られた。そこには両親、兄、夫のほか、子のエルビラ、ウラカ、ガルシアも葬られている。サンチャの石棺には、ラテン語の碑文が刻まれた。子には、1101年ごろまで生きてサモラを相続したウラカ、トーロを相続したエルビラ、カスティーリャ王サンチョ2世、レオン王からカスティーリャ王となったアルフォンソ6世、ガリシア王ガルシア2世がいる。
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