HISTORICAL PERSON · 1057年没

マクベス (スコットランド王)

スコットランド王(在位1040〜57年)。従兄ダンカン1世を殺して王位を奪い、統治能力に優れ17年在位したが、ランファナンの戦いで戦死。シェイクスピアの戯曲の題名として世界的に知られる。

生涯
1057年没
死亡地
イギリス連邦(アバディーンシャー / ランファナン)
出生地
—
出典
世界地図
イギリス連邦(アバディーンシャー)

伝記

マクベス、本名マクベタッド・マク・フィンレックは、11世紀のスコットランド王で、在位は1040年から1057年である。1005年に生まれ、1057年8月15日に死去した。ウィリアム・シェイクスピアの戯曲の題名として世界的に知られるが、劇中の人物は史実とは大きく異なる。戯曲はホリンシェッドの年代記に基づいており、歴史的に正確ではない。彼は「赤い王」というあだ名でも呼ばれ、当時のスコットランド史では、アルバ王国の時代にあたる。

若いころのことはほとんど分かっていない。父はマリ領主フィンレックで、母はマルカム2世の次女ドウナダであったともいわれ、そうだとすれば、彼はマルカム2世の孫で、次の王ダンカン1世の従兄にあたる。異父兄にオークニー伯トールフィンがいたともいう。名のマク・ベーサはゲール語で「生命の子」を意味するが、実際には父の名を示す語ではなく、正しい人、あるいは信心深い人という含みを持つとされる。1031年にクヌーズ1世(カヌート大王)が北上してマルカム2世の服従を受けたとき、マクベスもこれに服従した。1032年ごろにマリの領主となった。前任の領主ギラコムガンは、彼の父を殺したとされ、その死にマクベスが関わった可能性が高い。のちに、ギラコムガンの寡婦グロッホと結婚した。グロッホはケネス3世の孫娘とされ、彼女自身にスコットランドの王位への権利があったかもしれない。この結婚が、寡婦を助ける同盟者としてのものか、敵の寡婦を得た征服者としてのものかは、はっきりしない。二人に子はなく、マクベスはグロッホと先夫の子ルーラッハを後継者として受け入れた。

1034年にマルカム2世が亡くなると、その孫ダンカン1世が、ほぼ反対なしに王として認められた。ダンカンは若い人物で、老王として描かれたシェイクスピアの戯曲とは違う。治世の初めは大きな出来事がなかったが、1039年にストラスクライドがノーサンブリア人に攻められ、報復として率いたダラムへの遠征が惨敗に終わった。翌1040年、ダンカンは軍を率いて北のマリに向かった。マクベスが従兄のダンカン1世を1040年8月14日に殺害して王位を奪い、反対勢力や王位継承の可能性のある者を次々と抹殺したともいわれる。一方で、ダンカンがマリを攻撃してマクベスの軍勢との戦いで討たれたとも伝えられる。いずれにせよ、マクベスは、ほとんど反対を受けずに王位を継いだとされる。

統治能力に優れた人物と言われ、17年間という当時としては長い在位を保ち、治世は主に平和であった。1050年にはローマへの巡礼の旅に出ている。1054年には、ノーサンブリア伯シワードに率いられ、エドワード証聖王の名による侵攻を受けた。この年にマルカム・カンモーにスクーンの戦いで大敗したともいわれる。そして1057年、のちのマルカム3世に忠誠を誓う勢力とのランファナンの戦いで戦死した。遺体はスコットランド王の伝統的な墓所であるアイオナ島に埋葬されたとされる。跡を継いだのは継子のルーラッハであったが、わずか数か月で、同じくマルカム・カンモーに殺され、以後はマルカム3世の子孫が13世紀の終わりまでスコットランドを治めた。

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