伝記
エリザベス2世は、1926年4月21日に生まれ、2022年9月8日に没したイギリス・ウィンザー朝の第4代女王である。在位は1952年2月6日から2022年9月8日までの70年余りに及び、英連邦王国の君主、イングランド国教会の長でもあった。
1926年4月21日午前2時40分、ロンドンのメイフェアにある母方の祖父の家で、ヨーク公アルバート王子(後のジョージ6世)とエリザベス妃の第1子・長女として生まれた。出産は帝王切開であった。母方の祖父は第14代ストラスモア伯爵である。4月27日に母、祖母メアリー王妃、曾祖母アレクサンドラ王妃にちなんで「エリザベス・アレクサンドラ・メアリー」と命名され、家族からはリリベットの愛称で呼ばれた。祖父ジョージ5世は初の内孫である彼女を溺愛し、1929年に大病を患った際には、彼女が定期的に見舞いに訪れたことが回復を早めたといわれる。1930年には妹マーガレットが生まれた。当時は上流階級の女子に教育は不要とする慣習があったが、祖母メアリー王妃の方針で姉妹は宮廷内で教育を受け、家庭教師のクロフィが結婚まで17年間仕えた。生まれた当時の王位継承順位は第3位で、即位を予想する者はいなかった。
1936年1月に祖父ジョージ5世が崩御し、伯父がエドワード8世として即位した。しかしエドワード8世は離婚歴のあるアメリカ人女性ウォリス・シンプソンとの結婚をほのめかし、12月11日に退位した(「王冠を賭けた恋」)。父がジョージ6世として即位したため、10歳のエリザベスは王位継承順位第1位の推定相続人となった。一家はバッキンガム宮殿に移り、1937年5月の戴冠式には妹や祖母らとともに参列した。1938年に初めて舞踏会に出席し、以後は園遊会など公務にも出るようになった。1939年4月、13歳になると、次期女王への教育の一環としてイギリス国制史を学び始めた。第二次世界大戦中には英国女子国防軍に所属して公務に携わった。
1947年にフィリップ・マウントバッテンと結婚し、チャールズ、アン、アンドルー、エドワードの4人の子女(3男1女)をもうけた。1952年2月6日に父ジョージ6世が崩御すると、25歳で女王に即位した。1953年6月2日の戴冠式は史上初めてテレビ中継された。即位当時は、イギリスのほか、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、南アフリカ連邦、パキスタン、セイロンの7か国の君主となったが、独立や共和制への移行により数は減り、1956年にはパキスタン女王の称号を失った。存命中は、イギリスなど16か国が英連邦王国として彼女を君主とし、50か国以上が加わる英連邦の首長でもあった。
治世中には、権限委譲やカナダ憲法の改正といった立憲君主制下の重大な改革を目の当たりにし、シルバー、ルビー、ゴールデン、ダイヤモンド、サファイア、プラチナの各ジュビリーを迎えた。2007年にはヴィクトリア女王を抜いてイギリス史上最高齢の君主となり、2015年9月9日には在位63年と216日でイギリス史上最長在位の君主になった。2016年には90歳を迎えても公務への意欲は衰えず、関係する団体は2016年8月時点で648にのぼった。2022年6月13日には在位70年と127日となり、ルイ14世に次ぐ世界史上第2位の長期在位君主となった。同年9月8日、静養先のスコットランドのバルモラル城で老衰により崩御した。96歳であった。
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