HISTORICAL PERSON · 1051年没

畢昇

生涯
1051年没
死亡地
中華民国(中華圏)
出生地
中華人民共和国(湖北省 / 英山県)
出典
世界地図
中華民国(湖北省)

伝記

畢昇は、北宋の発明家である。蘄州蘄水県直河の人とされ、972年に生まれ1051年に没したという。ただし生年については990年とする説もあり、確かなことは分からない。世界で最初の活字を発明した人物として知られ、印刷術は中国の四大発明のひとつに数えられる。

畢昇は庶民で、学問を修めた人ではなかった。そのため家系の記録も生涯の記録も残らず、この発明を除けば人生についてほとんど知られていない。発明の内容は、北宋の学者で官僚でもあった沈括の『夢渓筆談』にだけ記されている。それによれば、畢昇は慶暦年間(1041年から1048年)に膠泥活字を用いた活版印刷術を考案した。英語圏では、1039年から1048年のあいだに発明されたとも説明される。

その方法は次のようなものだった。粘り気のある泥を銭の縁ほどの厚さに固め、一字ごとに文字を刻んで火で焼き、硬くする。別に、松脂と蝋と紙の灰を塗った鉄の板を用意する。印刷するときは、この板の上に鉄の枠を置き、必要な活字を並べて枠を満たす。満たしたら火にかざして温めると、下地の薬剤が溶けるので、平らな板で押さえて活字の面をそろえる。それまでの書物は、馮道(882年から954年)の時代から続く、木の板に文字を彫る木版印刷で作られており、畢昇の方法は一字ずつを組み替えて使えるところに新しさがあった。畢昇は木製の活字も試したが、木目があることや、墨を含むと表面が不ぞろいになることから、陶製の活字のほうが選ばれたという。

畢昇の没後、陶製の活字は西夏に伝わった可能性が指摘されている。現在の甘粛省武威で見つかった仏典『維摩経』は、西夏の仁宗の時代(1125年から1193年とされる)のもので、文字の筆画が中空になっていたり、欠けたり変形したりしている点が、泥活字の特徴と見なされている。また陶製の活字は畢昇の子孫に受け継がれたともいわれる。1193年には南宋の宰相周必大が、活字による印刷法を沈括の功績としたが、沈括自身は『夢渓筆談』で畢昇の発明だと記していた。元のフビライに仕えた姚枢も陶製の活字に言及し、弟子の楊古に、この方法で語学入門書を印刷させたという。のちには官吏の王禎が木を使って畢昇の活字に改良を加え、植字の速度を上げた。1490年ごろには、富裕な印刷業者の華燧が青銅の活字を作った。木活字は清代に広まったが、木版印刷にとって代わるまでには至らなかった。多数の活字をそろえる費用が大きかったことや、写字生の費用が安かったことが理由と考えられている。一方で、沈括が畢昇の方法をたたえたにもかかわらず、その後の数世紀の中国では木の使用が続いた。11世紀に陶製の活字が実際に効率よく印刷に使われたかどうかについては、研究者から疑問も出されている。

なお、朝鮮の崔允儀(1102年から1162年)は、この技法を金属の活字で改良したとされる。さて、畢昇の墓石は1990年秋に、湖北省英山県草盤地鎮五桂墩村で発見された。ただしこの墓碑については、研究者の意見が一致していないともいわれる。その場所には2023年4月に公園と博物館が開かれた。湖北省黄岡市の温泉にある畢昇街道は彼にちなんで名づけられ、月の裏側のクレーターには2010年8月2日に国際天文学連合によって畢昇の名がつけられた。リベリアの郵便当局が発行した記念切手にも、活字を発明した人物として描かれている。

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