HISTORICAL PERSON · 1896年没

アルフレッド・ノーベル

スウェーデンの化学者、発明家、実業家。ダイナマイトを開発して巨万の富を築き、遺産はノーベル賞の創設に使われた。

生涯
1896年没
死亡地
イタリア共和国(リグーリア州 / サンレーモ)
出生地
スウェーデン王国(Jakob and Johannes parish)
出典
世界地図
イタリア共和国(リグーリア州)

伝記

アルフレッド・ベルンハルド・ノーベルは、1833年10月21日にストックホルムで、建築家で発明家の父イマヌエルと母カロリナ・アンドリエッテの4男として生まれたスウェーデンの化学者であり、発明家、実業家である。両親は8人の子をもうけたが、一家は貧しく、成人したのはアルフレッドを含む4人の男子だけだった。幼少期から工学、とくに爆発物に興味を持ち、父からその基本原理を学んだ。事業に失敗した父は、1837年に単身でサンクトペテルブルクに赴き、機械や爆発物の製造で成功して、1842年に妻子を呼び寄せた。裕福になったため、アルフレッドには複数の家庭教師がつけられ、化学と語学を学んで、英語、フランス語、ドイツ語、ロシア語で流暢に会話できるようになった。学校に通ったのはストックホルムでの18か月間だけだった。1850年に化学をさらに学ぶためパリに行き、翌年にはアメリカに渡って4年間化学を学び、短期間だが発明家ジョン・エリクソンに師事した。

クリミア戦争では父の兵器生産で大儲けしたが、戦争の終結と同時に注文が止まり、父は1859年に再び破産した。父は工場を次男に任せ、アルフレッドと両親はスウェーデンに帰国した。アルフレッドは爆発物の研究に没頭し、とくにニトログリセリンの安全な製造と使用の方法を研究した。この爆薬は狙って爆発させるのが難しかったため、起爆装置を開発し、1862年にサンクトペテルブルクで水中爆発の実験に成功した。1863年にスウェーデンで特許を得て、1865年には雷管を設計した。1864年9月3日、爆発事故で弟のエミールと5人の助手が死亡し、アルフレッド本人も怪我を負った。当局からストックホルムでの研究開発を禁止されたため、ハンブルクに工場を建設し、ニトログリセリンの安定性を高める研究に集中した。

1866年に、不安定なニトログリセリンを安全に扱いやすくしたダイナマイトを発明した。ニトログリセリンを運ぶ際の緩衝材だった珪藻土と混ぜて粘土状にしたところ、爆発威力を損なわなかったのである。名はギリシア語で「力」を意味する語から取り、1867年にアメリカとイギリスで特許を取得して、サリーの採石場で初の公開爆発実験を行った。1871年に珪藻土を活用したより安全な爆薬の生産を開始し、50か国で特許を得て、100近い工場を持った。世界中の採掘や土木工事に使われて、一躍世界の富豪の仲間入りをし、「ダイナマイト王」とも呼ばれた。1875年にはより強力なゼリグナイトを発明している。1878年には兄ルドヴィッグとともにバクーで会社を設立し、1884年にスウェーデン王立科学アカデミーの会員に選ばれた。

主にパリで暮らしたが、1891年にはイタリアのサンレーモに移住した。生涯独身で、子供はなく、孤独な性格で、一時期はうつ病にもなったという。1876年には女性秘書の募集広告を出し、応募してきたベルタ・キンスキーに好意を抱いたが、彼女はほかの男性と結婚した。その著作が平和主義的だったことが、のちのノーベル平和賞の創設に関連していると考えられている。1895年11月27日、財産の大部分をあてて、国籍を問わず毎年授与するノーベル賞を創設するとした遺言状に署名した。税と個人への遺産を除く全財産の94%を、5部門の賞に割り当てている。1896年12月7日にサンレーモで脳溢血で倒れ、3日後に亡くなった。

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