伝記
エドモンド・デ・アミーチスは、1846年10月21日にイタリア北西部オネッリア(当時サルデーニャ王国領、1923年よりインペリア市の一部)で生まれ、1908年3月11日にボルディゲーラで没したイタリアの作家・ジャーナリスト・教育者である。小市民の家の出で、父はサヴォイア王国の官吏で、塩とタバコの専売を担当していた。イタリア統一運動の時代に育ち、1860年、14歳のときに、ジュゼッペ・ガリバルディの千人隊(赤シャツ隊)に志願したほどの愛国者であったが、幼いとして断られた。クーネオで学んだのち、1862年にはイタリア王国の首都トリノに出て、高等教育を受けた。16歳でモデナの陸軍士官学校に入り、将校となった。
第三次イタリア独立戦争では、少尉としてクストーツァの戦いに参加し、サヴォイア軍がオーストリア軍に敗れるのを目の当たりにした。この時期から、軍の規律と、愛国心などの価値観を、教育の模範になりうるものと考えていた。勤務で訪れたフィレンツェで、前線での体験に基づく場面を書き、1868年に『軍隊生活』としてまとめた。国防省の機関紙に載ったこの作品は、軍隊とその教育的な使命を理想化して描いたもので、成功によって軍を離れ、ジャーナリズムに専念するようになった。ローマの新聞社に加わり、1870年のローマ占領を目撃し、1871年に軍を完全に離れて執筆に専念した。そして、スペイン、ロンドン、オランダ、モロッコ、コンスタンティノープル、パリなどの旅行記を次々に書いた。
代表作は、統一イタリアの子供の教育用に書いた愛国小説『クオーレ』である。新学期の日に、トレーヴェス書店から刊行されるとただちに成功し、数か月で40版を超えて、1923年には100万部に達した。二百を超える言語に翻訳された。道徳的な理念に富み、イタリア統一運動をめぐる神話を再利用して、統一イタリアの誕生を称えるものである。批評家の中には、フリーメイソンの道徳に強く影響された本で、カトリックの宗教が、祖国という世俗の宗教に置き換えられたとする人もいる。実際にアミーチスは、モンテビデオのフリーメイソンのロッジで入会している。日本では、この中の挿話「アペニン山脈からアンデス山脈まで」が『母をたずねて三千里』の題で知られ、初めて日本語訳したのは教育者の三浦修吾で、アミーチスが「愛の学校」という副題をつけた。
1890年代から社会主義に関心を持ち、1896年に正式に加わった。この変化は、庶民への関心として後の作品に現れ、『クオーレ』の底に流れる民族主義を時代遅れにした。1884年の南米への旅に着想を得た、イタリア人移民の運命を描く『大洋のうえ』(1889年)、教師の視点の『ある教師の小説』(1890年)などを書いた。トリノの新聞に社会主義的な論説を書き、のち『社会問題』(1894年)にまとめた。晩年の『自然の言葉』(1905年)のほか、未完に終わった小説『五月一日』は、社会主義に転じるトリノの市民の一家を描いた。晩年は、母の死、妻テレサ・ボアッシとの対立、息子フリオの自殺など、家庭内の困難が続いた。1908年、ボルディゲーラのホテルで亡くなった。
同じ年に亡くなった人物
- ヨハン・アルベルト・レーゲル (1908年没)
- トーマス・ヒル (画家) (1908年没)
- レスター・アラン・ペルトン (1908年没)
- ブッチ・キャシディ (1908年没)
- シャルル・バルビエ・ド・メナール (1908年没)
同じ地域に関係する人物
- グイード・ダ・スポレート (イタリア王) (894年没)
- Giovanni Steffe (2016年没)
- Franco Lavoratori (2006年没)
- ジュゼッペ・メアッツァ (1979年没)
- ガエターノ・プレヴィアーティ (1920年没)