伝記
スヴェイン・ハーコナルソン(970年ごろ生、1016年ごろ没)は、ラーデのヤールであり、1000年から1015年ごろまでノルウェーの共同支配者だった人物である。ハーコン・シグルザルソンとトーラ・スカーゲスダッタの息子で、ハーコン・シグルザルソンはラーデ家のヤールだった。生年は966年ともされる。
スヴェインの名が最初に確認されるのは、ヒョルンガヴァーグの戦いにおいてである。ヘイムスクリングラには、このときスヴェインが60隻の船を指揮したと記されている。1000年のスヴォルドの海戦の後、スヴェインは異母兄のエイリーク・ハーコナルソンとともにノルウェーの共同支配者となった。ノルウェーは一部がデンマークの支配下にあり、ラーデのヤールたちはデンマーク王スヴェン双叉髭王の同盟者だったとされる。1014年にエイリークがイングランドに向かうと、スヴェインは甥のハーコン・エイリークソンと共同支配者になった。
1015年ごろ、オーラヴ・ハーラルソンがノルウェーに到着し、王位を主張した。スヴェインはエルリング・スキャールグスソンらの同盟軍とともに戦ったが、ネシャールの戦いでオーラヴに敗れ、軍勢を解散してスウェーデンに逃れた。スウェーデン王の助けを得て、ノルウェーを取り戻すための軍勢を集めるつもりだった。まず東方のガルザリキに出向いて戦利品を得ようとし、その後に軍をスウェーデンへ連れ帰ったともいわれる。しかしノルウェーに戻る前に病にかかり、スウェーデンあるいはおそらくロシアで亡くなった。
スウェーデン王エリク6世の娘ホルムフリドと結婚したとされるが、王オーラヴ・シェトコヌングの娘とも姉妹ともいわれる。二人の間の娘シグリーズ(997年ごろ - 1062年)は、エルリング・スキャールグスソンの息子アスラクと結婚した。別の娘グンヒルド(1012年ごろ - 1060年)は、デンマーク王スヴェン2世と結婚した。ほかにスウェーデン王アーヌンド・ヤーコブと結婚したとする記述もある。宮廷詩人ベルシ・スカルトルフソンが仕えたことが記録されているが、その詩はほとんど伝わっていない。
スヴェインに関する文献は、すべて本人の死後150年以上たってから書かれた。1972年、スウェーデンの歴史家スタファン・ヘルベリは、スヴェインは架空の人物であると主張した。これは、11世紀以前の歴史を扱う12世紀・13世紀のサガの資料的価値をめぐる議論の一部で、特にスウェーデンの学界で広まっているサガ懐疑論の一例だが、現在のところヘルベリの主張は推測にとどまっている。
同じ年に亡くなった人物
- ゲルベルガ・フォン・ブルグント (1010年代没)
- アブー・サフル・マスィーヒー (1010年)
- ムハンマド2世 (1010年没)
- Ermengol I (1010年没)
- アンナ (キエフ大公妃) (1010年代没)
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