伝記
ロザーラ・ディタリーは、10世紀後半にフランドル伯妃となり、のちにフランス王の妃となった女性である。生まれは950年から960年のあいだとされ、没年は1003年である。ロザーラ・ド・プロヴァンスとも、イヴレーアのロザーラとも呼ばれ、王妃となってからはシュザンヌ(スザンナ)と名のったという。
父はイタリア王ベレンガーリオ2世で、母はトスカーナ辺境伯ボゾの娘ヴィッラとされる。したがってカール大帝の血を引く家柄の出である。976年、フランドル伯アルヌール2世と結婚した。この結婚から、のちのフランドル伯ボードゥアン4世(980年-1035年)や、995年に没した娘マティルドらが生まれたほか、カンブレーのオドも子とされる。
987年に夫アルヌール2世が亡くなると、子らがまだ幼かったため、ロザーラは息子ボードゥアン4世の摂政としてフランドルを治めた。ところがフランドルはフランスから脅かされており、その脅威を避けるため、彼女は再婚の道を選んだ。フランス王ユーグ・カペーの嗣子で、共同王に立てられていたロベール2世(敬虔王)との結婚である。この縁組はユーグ・カペーが取り決めたもので、ユーグは王朝を築こうとして、息子のために王家との同盟を探していたとされる。988年4月1日に結婚したと伝えられ、988年とも989年ともいわれる。ロベールは972年生まれで、ロザーラより17歳ほど年下だった。再婚に伴い、摂政の座は夫の母、すなわち息子ボードゥアンの父方の祖母であるザクセンのマティルドに引き継がれ、彼女は翌年に摂政の地位を失った。持参金として、モントルイユとポンチューの地を夫にもたらしたといわれる。ただ、これには異説があり、遺贈によってその権利を得たとする見方もある。いずれにせよ、この領地は王家の領域に加わるものとして魅力があったとされる。
しかし夫婦仲はよくなかった。991年か992年ごろから二人は事実上別居しており、ロザーラが38歳ほどで、もう子を産むには年を取りすぎたとみなされたことも背景にあったという。ロベールとのあいだに子はなかった。996年にユーグ・カペーが死去して単独で統治を始めたロベールは、ロザーラを完全に離縁し、愛するブルゴーニュのベルタを妃に迎えようとした。ただし持参金の領地は返さず、手元に残した。ベルタとの結婚は近親にあたり、教会法上認められないものだった。ロベールは1003年にアルルのコンスタンスと三度目の結婚をし、七人の子をもうけた。
ロザーラはフランドルに戻り、息子のもとで暮らした。ガン(ヘント)で亡くなり、サン・ピエール・オー・モン・ブランダン修道院に葬られた。没日は1003年2月7日とされるが、1003年12月13日あるいは1004年2月7日とする説もある。
同じ年に亡くなった人物
- ヨハネス17世 (ローマ教皇) (1003年没)
- ベアトリクス・フォン・フランツィーン (1003年没)
- ヴラジヴォイ (1003年没)
- ジダ (1003年没)
- ターイー (1003年没)
同じ地域に関係する人物
- Gustaaf Joos (2004年没)
- ジャック・ロゲ (2021年没)
- ボードゥアン2世 (フランドル伯) (918年没)
- ルディー・ダーネンス (1998年没)
- Roger Raveel (2013年没)