HISTORICAL PERSON · 2021年没

ジャック・ロゲ

ベルギーの貴族、整形外科医。セーリングで3度五輪に出場し、2001年から2013年まで国際オリンピック委員会の会長を務めた。

生涯
2021年没
死亡地
ベルギー王国(オースト=フランデレン州 / デインズ)
出生地
ベルギー王国(ヘント)
出典
世界地図
ベルギー王国(オースト=フランデレン州)

伝記

ジャック・ロゲ(ジャック=ジャン=マリー・ロゲ伯爵)は、1942年5月2日にベルギーのヘントで生まれた貴族、整形外科医、オリンピック選手であり、国際オリンピック委員会(IOC)の第8代会長を務めた人物である。生まれたのは第二次世界大戦中のドイツ占領下で、父は技師のシャルル、母はシュザンヌといった。イエズス会系の私立学校サン・バルバラ学院で学び、ヘント大学を卒業した後、同大学院でスポーツ医学の博士号を取得した。職業は整形外科医だった。

ロゲは郷里では名の知られた競技者だった。ラグビーでは国内選手権を16回制したとされ、ヨットでは世界王者にもなった。セーリングのフィン級で1968年、1972年、1976年の3回の夏季オリンピックに出場し、ベルギーのラグビーユニオンチームでもプレーした。1989年から1992年までベルギーオリンピック委員会の会長を務め、1989年から2001年までは欧州オリンピック委員会の会長の座にあった。1991年にIOC委員となり、1998年に長野で開かれた総会で理事に選出された。

2001年7月16日、モスクワで開かれたIOC総会で、1980年から会長を務めたフアン・アントニオ・サマランチの後任として第8代会長に選ばれた。ベルギー人の会長はアンリ・ド・バイエ=ラトゥール以来2人目で、近代オリンピックに選手として出場した経験をもつ初の会長となった。2002年にはベルギー国王アルベール2世から爵位を授けられ、伯爵に叙せられた。政策の中心の1つは、夏季大会の参加選手数を約1万人に抑えることだった。腐敗とドーピングには一切容赦しないと述べた。2002年のソルトレイクシティ冬季大会では、歴代会長の多くが好んだ豪華な5つ星ホテルではなく、会長として初めて選手村に滞在した。会期中に起きた審判やドーピングをめぐる不祥事にも決然と臨み、この大会は、腐敗に容赦なく対応するというメッセージを送った新時代の幕開けだと、多くの批評家に評価された。

2005年、北京の体育館で若い体操選手が日常的に殴られていると報じられると、ロゲは「誇張された」主張だとし、30年前のイギリスの学校で行われていたことと大差ないと述べて物議を醸した。2007年にグアテマラシティで開かれた総会では、反ドーピング教育や選手との交流など文化・教育の計画を含むユースオリンピックの創設を提案して多くの委員の支持を得た。第1回夏季大会は2010年にシンガポールで、第1回冬季大会は2012年にインスブルックで開かれた。2008年の北京大会では、中国当局によるインターネット検閲はないと語ったが、後にそれが覆される事態となり、物議を醸した。同年、北京で第1回ワールドマインドスポーツゲームズが開かれると、その組織委員会の名誉会長も務めた。2009年10月に2期目に入り、2012年のロンドン大会にも携わった。2013年9月、ブエノスアイレスの第125次総会で2020年夏季大会の開催都市に東京が選ばれたことが発表され、これが最後の仕事となった。総会の閉幕をもって退任し、後任の第9代会長にはトーマス・バッハが就いた。

退任後は終身の名誉会長となった。2006年には筑波大学から名誉博士の学位を授与され、2013年にはロンドン大会への貢献でイギリスから聖マイケル・聖ジョージ勲章(ナイト・コマンダー)を受けた。のちにパーキンソン病を患い、2021年8月29日にデインズの自宅で死去した。没後の2022年、デインズに建設された自転車橋にその名が冠された。

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