伝記
ヴェルダン伯ゴットフリート1世は、10世紀後半のロレーヌ地方で活動した貴族である。生年は不明で、1002年に没した。ビドガウ伯(在位959年-1002年)、ヴェルダン伯(在位963年-1002年)を務め、三度にわたって捕らえられたことから「捕囚伯」、また「老伯」とも呼ばれた。アルデンヌ家の分家であるアルデンヌ=ヴェルダン家の祖にあたる。
父はビドガウ伯ゴツェロ、母はオーダ・フォン・メッツである。ユーグ・カペーに戴冠したランス大司教アダルベロンは、ゴットフリートの弟にあたる。一族は常にザクセン家(オットー朝)に忠実であったが、これは母方の祖母を通じて同家と血がつながっていたためとされる。959年にはすでに相続によってビドガウ伯の地位にあり、963年にヴェルダン伯とされた。969年にはアントウェルペン辺境伯領とエナメ辺境伯領を手に入れた。
974年、レニエ4世が失脚すると、ゴットフリートはモンス伯でありヴァラシエンヌ伯でもあったアーノルドとともにエノー伯となった。しかし下ロレーヌ公シャルルはレニエ4世を支持しており、976年にモンスでゴットフリートとアーノルドを破った。このときゴットフリートは捕らえられ、最初の捕囚の身となった。
解放されたのち、985年に神聖ローマ皇帝オットー2世の側に立ち、ヴェルダンで西フランク王ロテールと戦った。だがこのときも息子フリードリヒとともに捕らえられ、数年間囚われの身となった。987年、戴冠を終えたユーグ・カペーによって解放された。弟アダルベロンがユーグと同盟関係にあったからである。ゴットフリートはユーグと対立していた下ロレーヌ公シャルルの敵でもあった。さらに989年、ヴェルマンドワ伯エルベール3世によって三度目に捕らえられた。995年より前に解放され、ムッソンの宗教会議に出席している。998年にはモンス伯領を失い、それは再びレニエ4世に与えられた。
963年、ザクセン辺境伯ヘルマン・ビルングの娘で、フランドル伯ボードゥアン3世の寡婦であったマティルデと結婚した。子は多く、フリードリヒはヴェルダン伯、ゴットフリート2世は下ロートリンゲン公(1012年-1023年)、アダルベロンはヴェルダン司教(984年-988年)となった。ヘルマンはブラバン伯で、1022年以降はヴェルダン修道院に隠棲した。ゴツェロ1世はロートリンゲン公となった。娘のイルムガルトはヴェッテラウ伯オットーと、エルメントルーデはフロレンヌ領主アーノルド・ド・ルミニーと結婚したとされ、アデラはゴディツォ・フォン・アスペルに嫁いだ。ゴットフリートは1002年に没した。
同じ年に亡くなった人物
- イベリアのヨアネ (1002年没)
- アンリ1世 (ブルゴーニュ公) (1002年没)
- マンスール (後ウマイヤ朝宰相) (1002年没)
- イスマーイール・ブン・ハンマード・ジャウハリー (1002年)
- エッケハルト1世 (マイセン辺境伯) (1002年没)
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