伝記
フィニアス・テイラー・バーナムは、1810年7月5日に生まれ、1891年4月7日に没したアメリカ合衆国の興行師である。愉快な「ホラ話」と、のちにリングリング・ブラザーズ・アンド・バーナム・アンド・ベイリー・サーカスとなるサーカスの設立で知られる。
コネチカット州ベセルで、宿屋や仕立て屋、店主であったフィロ・バーナムと、その2番目の妻アイリーンの息子として生まれた。雑貨店、書籍競売業、不動産投機、州全体の宝くじネットワークなど、いくつかの事業を経営した。1831年に週刊新聞『ヘラルド・オブ・フリーダム』を創刊したが、地元教会の長老たちに対する社説が名誉毀損訴訟と起訴につながり、2か月間投獄された。1834年に店を売却してニューヨーク市へ移住し、1835年に、ジョージ・ワシントンの元乳母で161歳との評判があった盲目の黒人奴隷ジョイス・ヘスを雇って、興行師としての仕事を始めた。ヘスが実はゴムで作られた自動人形だとする凝った宣伝も行い、巡業を成功させたが、ニューヨークでは奴隷制度はすでに違法で、バーナムは法律の抜け穴を利用して彼女を借り、さらに買い取って、1日10時間から12時間働かせていた。1836年2月にヘスが亡くなると、公会堂で遺体解剖の興行を主催し、観客から1人50セントを取ったが、執刀医はヘスの年齢が80歳を超えていないだろうとした。バーナム自身は「ペテン師のプリンス」と呼ばれるようになった。
1841年にマンハッタンの「スカダーのアメリカ博物館」を買い取って見世物の興行場に改装し、「バーナムのアメリカ博物館」と名付けて開館した。1842年には、4歳のチャールズ・ストラットンを11歳の「親指トム将軍」として登場させて大当たりをとった。1844年から1845年にはトム将軍を連れてヨーロッパを巡業し、ヴィクトリア女王にも面会している。1846年後半までに、博物館は年間40万人の来場者を集めた。霊と交信できるというフォックス姉妹の交霊会の興行も担当し、心霊主義のブームの端緒となった。
ヨーロッパ巡業中に、「スウェーデンのナイチンゲール」ジェニー・リンドの人気に気づいた。自身は歌声を聞いたこともなかったが、経費をすべて負担して、アメリカで150夜、1晩1,000ドルで歌う機会を提供した。リンドは前払いの出演料を求め、バーナムは邸宅と博物館を担保に多額の借金をした。1850年9月に巡業が始まると、埠頭には約4万人が出迎え、バーナムは入場券をオークションで売り、熱狂はマスコミに「リンド・マニア」の語を作らせた。リンドは1851年初頭に契約を破棄して別れ、バーナムは少なくとも50万ドルの利益を得た。
ヨーロッパから帰ると禁酒主義者になり、ニューヨークに「モラル・レクチャー・ルーム」と名付けた劇場を建て、家族連れを奨励して国内初の昼公演を始めた。1856年にジェローム・クロック・カンパニーが倒産して財産を失い、4年間の訴訟と世間の屈辱を味わったが、トム将軍らの協力で借金から立ち直り、1860年までに博物館の所有権を取り戻した。アメリカ初の水族館も創設した。博物館は1865年7月の火災で全焼し、再建したが、1868年3月の火災でも焼失し、バーナムは博物館事業から引退した。
同じ年に亡くなった人物
- ヘレナ・P・ブラヴァツキー (1891年没)
- ウィリアム・フェレル (1891年没)
- ハインリヒ・グレーツ (1891年没)
- カール1世 (ヴュルテンベルク王) (1891年没)
- デイビッド・ディクソン・ポーター (1891年没)
同じ地域に関係する人物
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- チャールズ・ビアード (1948年没)
- グスターヴ・ホワイトヘッド (1927年没)
- キャサリン・ヘプバーン (2003年没)
- ロバート・ヴォーン (2016年没)