伝記
キャサリン・ホートン・ヘプバーンは、1907年5月12日にコネチカット州ハートフォードで生まれたアメリカ合衆国の女優である。父トーマス・ノーヴァル・ヘプバーンはバージニア州出身の医師で、母キャサリン・マーサ・ホートンは婦人参政権論者であり、マーガレット・サンガーとともに産児制限運動に携わったという。自由主義的な環境で育ち、活発な少女だった。髪を短く切って「ジミー」と名乗り、2歳上の兄トムと仲がよく、六人きょうだいの一人として、幼いころから演じることに熱中した。14歳のとき、兄トムが亡くなった。報道では自殺、あるいは首つりの真似事の際の事故とされるが、真相はいまも謎のままである。
ブリンマー大学で心理学を学んでいたが、21歳のときにサマーストックの舞台で初めて役を得て、演劇を続けた。卒業後はニューヨークに移り、発声に問題があったため、発声練習に励んだ。1928年に大学で知り合ったラドロウ・オーデン・スミスと結婚し、結婚は一度きりで、二人は1934年に離婚したが、スミスが癌で亡くなるまで友人として交流があった。10本以上の舞台を経て、1932年にRKOの映画『愛の嗚咽』で映画デビューした。当初はハリウッドに興味がなく、舞台の報酬が週100ドルだったのに、相手を驚かせるため半ば冗談で週1500ドルを要求したところ、会社が条件をのんだため、出演せざるを得なくなったというのが、デビューの逸話である。
1930年代半ばから『フィラデルフィア物語』(1940年)が大ヒットするころまでは、「ボックス・オフィス・ポイズン」と呼ばれ、金にならないスターとして興行主に嫌われた。しかしケーリー・グラントと共演した『赤ちゃん教育』や『素晴らしき休日』などのスクリューボール・コメディは、膨大な台詞とアドリブに満ち、のちに高く再評価された。ジョージ・キューカー監督とは生涯の親友となった。細く長い体つきの大柄な女優で、当時としては珍しいパンツ姿を好み、実用的な服装で通したため、それがやがてトレンドになった。
プライバシーを重んじ、授賞式にはほとんど出ず、唯一出席したのは1973年度の第46回アカデミー賞で、友人のローレンス・ウェインガーテンにアービング・G・タルバーグ賞を贈るためだった。スペンサー・トレイシーとは9作品で共演して名コンビとなった。トレイシーは宗教上離婚できなかったため結婚せずに20年以上を共にし、1960年代に彼の健康が悪化すると、彼女は5年間休んで看病し、1968年に死を看取った。『ライフ』誌は『冬のライオン』の取材で、演技の女王が実在の女王を演じたら誰もかなわないと評した。1991年の自伝『Me』は、私生活を語らなかった彼女の本として全米で数百万部売れた。『旅情』の撮影中に目が細菌に感染し、失明寸前に陥ったが、感染症は死ぬまで完治しなかった。
オスカーの演技部門を4回受賞した唯一の俳優で、ノミネートは12回に上り、1999年にはアメリカン・フィルム・インスティチュートの映画スターで女優部門の第1位に選ばれた。2003年6月29日、コネチカット州オールドセイブルックで老衰のため、96年の生涯を終えた。
同じ年に亡くなった人物
- ジェームズ・レイチェルズ (2003年没)
- Antoni Torres (2003年没)
- アート・カーニー (2003年没)
- コンパイ・セグンド (2003年没)
- エレム・クリモフ (2003年没)
同じ地域に関係する人物
- ジェームズ・トービン (2002年没)
- ウォルター・エイベル (1987年没)
- クリストファー・プラマー (2021年没)
- ヘンリー・A・ウォレス (1965年没)
- ハワード・フィンケル (2020年没)