伝記
アブー・ハーミド・サーガーニーは、10世紀のバグダードで活動した数学者・天文学者であり、天文観測器械の制作者である。990年に没した。正しくはアブー・ハーミド・アフマド・イブン・ムハンマド・サーガーニーといい、アスタルラービー(アストロラーベ制作者)とも呼ばれる。名に含まれる「サーガーニー」は地名サーガーンにちなむニスバで、サーガーンとはホラーサーンのメルヴ付近を指す。ペルシア系の学者とされ、「メルヴ近郊のサーガーンのアストロラーベ制作者」という意味の名で知られた。
生年や若いころの事情は伝わっていない。為人や業績を知る主な手がかりは、13世紀の人物伝作家キフティーの記述である。それによれば、サーガーニーは地理学と天文学の専門家で、バグダードには多くの弟子がいた。また幾何学や天文学に通じていたが、のちに天文学に専念して、幾何学的な角度の等しさを定めるための器具をいくつか考案したとされる。天文観測器械の設計と製作に深い関心を寄せ、とくにアストロラーベの製作に優れていたため、その名で呼ばれるようになった。古い器械に改良を加えたともいい、ブーヤ朝のアドゥド・アッダウラがバグダードの天文台でこの人物を頼りにしたとも伝えられる。
当時、ブーヤ朝の君主シャラフッダウラは、宮廷に優れた天文学者を何人も招き、宮殿の庭の一隅に天文台を建てさせた。この天文台は、五惑星と太陽、月の運行を国家機関として観測する目的で設けられたもので、公的な保護を受けた最初の天文台ともいわれる。サーガーニーはここで働き、台で使われた器械を製作した可能性があるとされる。西暦988年には、ウィージャン・イブン・ルスタム・クーヒーを天文台長として、太陽が巨蟹宮に入ってから3か月後に天秤宮に入ったことが観測された。サーガーニーは、この観測が正確であると証言する公式書類に署名している。角の三等分の問題にも取り組んだとされる。
サーガーニーは科学史についても、最も早い部類の論評を書いたとされる。そこでは、バビロニア人・エジプト人・ギリシア人・インド人などの古代の学者と、同時代のイスラーム世界の学者を比べている。古代の学者は基本的な原理の発見と新しい着想の創出に秀でていたのに対し、同時代の学者は多くの細部の研究、難問の単純化、散らばった知識の収集、曖昧な考えの解明に秀でていると述べた。古代の学者が成果を挙げたのは先んじていたからであって、生まれつきの資質や知性によるものではないと論じ、そのため多くの主題が手つかずで残り、同時代の学者の研究対象になったと考えた。
12部からなる論考で新しい高性能のアストロラーベの製作法を説明したほか、惑星の大きさや軌道、地球からの距離を扱う3部構成の天文学書も著したと伝えられる。サーガーニーは990年、ズー・アル=ヒッジャ月にバグダードで世を去ったとされる。アストロラーベは、天空を二次元に写して、特定の場所と時刻に空がどう見えるかを示す器械で、当時の天文計算機に当たるものであった。太陽や星、惑星の位置のほか、時刻や方角を知るのにも用いられた。イスラーム世界では礼拝の時刻の決定や航海、砂漠の旅のために必要とされ、とくに製作と改良が進められた。最初にアストロラーベを作ったのはアブー・イスハーク・ファザーリーともいわれ、のちビールーニーやサーガーニーらによって大きく発展したとされる。
同じ年に亡くなった人物
- アブル・ワファー (990年代没)
- 藤原兼家 (990年没)
- エイヴィンド・フィンスソン (990年)
- 清原元輔 (990年没)
- スムバト2世 (990年(推定))
同じ地域に関係する人物
該当人物はまだありません。