HISTORICAL PERSON · 紀元前300没

コンマゲネのサメス

紀元前260年頃にソフェネ、アルメニア、コンマゲネを治めたオロンテス朝の王。

生涯
紀元前300没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

サメス1世(サモス1世とも)は、オロンテス朝の王で、ソフェネ、アルメニア、コンマゲネを治めた人物である。紀元前260年ごろに在位したとされる。

名のサモスは、アルメニア語のサメのラテン語・ギリシア語形で、さらに古代イランの名サーマに由来するとされる。サーマはアヴェスターに登場する英雄ガルシャースプの祖父(別の記述では父)にあたる人物で、オロンテス朝のあいだに、イランの宗教や叙事詩にまつわる何らかの習わしがあったことを思わせる。エーゲ海の島サモスと同じ綴りだが、島の名は丘や山を意味する語に由来し、人名との関連はないとされる。

オロンテス朝は、アケメネス朝のもとでアルメニア総督領を治めたイラン系の王家で、アルタクセルクセス2世の娘婿だったバクトリアの貴族オロンテス1世の子孫とされる。ストラボンは、ソフェネが独立した王国として現れたのはセレウコス朝のアンティオコス3世に任じられたザリアドレスのときで、アンティオコス3世がローマに敗れたのちに独立を宣言したと述べる。しかし、この説明は碑文や貨幣の証拠と強く食い違う。ソフェネはおそらく前3世紀、近東でセレウコス朝の影響力が次第に衰え、オロンテス朝がいくつかの家系に分かれていくなかで、独立の王国になったと考えられる。別の家系に属するサメス1世、アルサメス1世、クセルクセスの3人の支配者は、コンマゲネからアルザネネにかけて、大アルメニアの西部を治めていたかもしれない。サメスはおそらく王の子で、ネムルト山の碑文の証拠から、後に位に就いたアルサメス1世の父だったと考えられる。ビテュニアのジエラスが継承権を拒まれて逃げこんだ先がサメスの宮廷だったとするトゥマノフの説があるが、文献に出てくるのは名の伝わらないアルメニア王であり、推測の域を出ない。

建設事業としては、前245年より前のいつか、ネオ・ヒッタイト時代の遺跡クンムフの跡にサモサタの町を再建した。この地への主張を示す狙いがあったかもしれず、そうした行いはカッパドキア、ポントス、パルティア、アルメニアなどのイラン系・ヘレニズム系の王家にも見られた。町は、大アルメニアのほかのオロンテス朝の建築と同様に、アケメネス朝風の形式でつくられた。サモサタのように「喜び」「幸せ」を意味する語を添えて町を名づけるのは、のちのアルタクシアス朝にも続いたオロンテス朝の慣行で、アケメネス朝の王の言葉づかいを思い起こさせた。サモサタはソフェネのオロンテス朝の王たちの、最も重要な王宮のひとつとなった。

貨幣にも特徴がある。初期のパルティアのアルサケス朝やペルシスのフラタラカ朝と同じく、ソフェネのオロンテス朝は、イランの王権を示す図像を試みた。サメス1世は髭のない姿で、アケメネス朝の総督がかぶっていたキュルバシアという頭飾りをつけて描かれる。先端がとくに目立ち、初期のカッパドキアのアリアラテス家のものに似ている。裏面にはディオニュソスの杖が、2本の豊穣の角のあいだに描かれる。

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