HISTORICAL PERSON · 紀元前307年没

アルケタス2世 (エピロス王)

エピロス王で、アリュバス王の子。激しやすい性格から父に追放され、前313年にアイアキデスの後を継いで即位した。カッサンドロスと敵対したが和解し、人々を酷く扱ったため前307年に息子二人と共に殺された。

生涯
紀元前307年没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

アルケタス2世は、紀元前313年から紀元前307年まで在位したエピロス王である。没年は紀元前307年とされるが、紀元前306年とする記述もある。エピロス王アリュバスの子で、祖父はアルケタス1世、弟にアイアキデスがいる。

激しやすく手に負えない性格のため、アルケタスは父アリュバスに追放された。アリュバスは弟のアイアキデスを後継に指名し、アイアキデスが王位についた。ところがアイアキデスは、紀元前313年にマケドニアの支配者カッサンドロスとの戦いで敗れて命を落とした。そこでエピロスの人々は、追放されていたアルケタスを呼び戻して王位に就けた。アルケタスは、一貫してカッサンドロスに敵意を示してきた人物だった。

カッサンドロスはアカルナニアの軍事指揮を任せていた将軍リュキスコスをエピロスに送りこんだ。リュキスコスは、アルケタスの権威がまだ固まっていないと見て、容易に退位させられると考えたという。アルケタスは二人の息子アレクサンドロスとテウクロスを各地の都市へ送って兵を集めさせ、自らは軍を率いて敵の近くまで進み、息子たちの帰りを待った。だが優勢な軍を率いるリュキスコスに攻められ、恐れをなしたエピロス兵はアルケタスを見捨てた。アルケタスはエウリュメナイに逃れて包囲されたが、息子アレクサンドロスが救援に駆けつけ、激しい戦闘となった。この戦いでミキュトスや、カッサンドロスがレウカス島の統治を任せていたアテナイ人リュサンドロスなど、何人もの指揮官が倒れた。そこへディニアスがリュキスコスの援軍に来て戦いをやり直し、アレクサンドロスとテウクロスは敗れて、父とともに砦に逃げこんだ。リュキスコスはエウリュメナイを攻め落として破壊した。

敗報を聞いたカッサンドロスは、リュキスコスを助けようとエピロスに向かったが、勝利したことを知って、紀元前312年にアルケタスと和解し、同盟の条約を結んだ。アルケタスはその後もしばらく王として国を治めた。しかし気性が激しく、人々を酷く扱ったため、民の恨みを買った。ついにエピロス人はアルケタスに襲いかかり、まだ幼かった二人の息子ヘシオネとニソスとともに殺害した。上の二人の息子の運命は分かっていない。

イリュリア人の王グラウキアスはこの機会をとらえ、アイアキデスの子で十二歳ほどのピュロスを王位に復させた。後継となったこのピュロスは、アルケタスの甥にあたる。

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