伝記
アブー・アルアイシュ・アフマドは、マグリブのイドリース朝の第12代君主である。948年(948年から949年ともいう)に父カースィム・ジャンヌーンの跡を継ぎ、954年(954年から955年ともいう)まで在位した。イドリース朝最後期の君主の一人にあたる。父は第11代君主で、預言者ムハンマドの娘婿アリーの子孫にあたる家柄の出である。タンジャで生まれたとされ、父のもとで補佐役を務め、タンジャ、セウタ、テトゥアンなどの統治を支えたと伝えられる。「アブー・アルアイシュ」の名は、その気前のよさに由来するともいわれる。法学に通じた敬虔な人物で、史書や諸王の事績、アラブ人やベルベル人の系譜に詳しく、勇敢で物惜しみしなかったと称えられる。妻は従姉妹のファーティマで、二人の間には息子イーサーがいた。
当時のイドリース朝は内部の対立に苦しんでいた。父はファーティマ朝のカリフに従う臣下であったが、アブー・アルアイシュは即位すると、領内でファーティマ朝のための説教を取りやめ、コルドバのウマイヤ朝カリフ、アブドゥッラフマーン3世の名で金曜礼拝の説教を読ませた。ただし父の代、945年ごろにすでに、ファーティマ朝がハワーリジュ派の反乱で苦境にあったことを受けて、同様の措置をとっていた可能性も指摘される。
952年、テトゥアン付近に都市を築こうとしたが、セウタに近いため、ウマイヤ朝にとって脅威となり、反対を受けた。両国の緊張は高まり、アブー・アルアイシュはカリフへの服属を取りやめたが、たちまち敗れた。カリフはさらにタンジャの割譲を要求し、彼がこれを拒むと、コルドバの軍勢と艦隊がタンジャに向かい、彼はそこで包囲された。イドリース朝の領土はウマイヤ朝に占領され、彼は残されたバスラとアシラーの一帯に退いた。
やがてアブー・アルアイシュは退位し、955年ごろ、権力を弟のハサン・ブン・カースィム・ジャンヌーンに譲った。マグリブにおけるカリフの優勢を見て、統治への執着が薄れたとも伝えられる。カリフに手紙を送って許しを得ると、聖戦に加わるためアンダルスへ渡った。出発に際し、弟に礼拝と親族との絆を守るよう遺言したという。死についての記録は一致せず、日付は不明とされるが、キリスト教徒との聖戦で戦死したと伝える記述もある。
同じ年に亡くなった人物
- ヌーフ1世 (954年)
- 郭威 (954年没)
- ルイ4世 (西フランク王) (954年没)
- エイリーク1世 (ノルウェー王) (954年没)
- アルベリーコ2世 (954年没)
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