伝記
クレイトスは、古代マケドニア王国の武将で、アレクサンドロス3世(アレクサンドロス大王)の友人であり側近の将校である。浅黒い肌をしていたため「黒のクレイトス」と呼ばれた。紀元前375年ごろの生まれとされ、古くは近衛隊長としてピリッポス2世に仕え、すでにその治世から高い評価を受けていたようである。マケドニア貴族ドロピデスの子で、アレクサンドロスより年上だった。姉のラニケは大王の乳母であり、そのため大王を幼いころから知っていた。
大王は彼を騎兵親衛隊長に任じた。紀元前334年のグラニコス川の戦いでは、背後から大王に襲いかかったペルシアの武将スピトリダテスの腕を斬り落とし、王の命を救った。ただしこの場面の描写は書き手によって異なり、腕を斬ったとするもの、槍で体を貫いたとするものがあり、別の人物の逸話と混同されたものもある。腕を斬り落としたとする話が、今日もっとも引かれる版である。ガウガメラの戦いでは親衛騎兵隊を率いて敵陣に突入し、紀元前330年、フィロタスの処刑で空いたヘタイロイ騎兵の隊長に、ヘファイスティオンとともに任命された。優れた指揮官だったのである。
一方で、彼は伝統的なマケドニアの風習を重んじた。ペルシア風の宮廷儀礼の導入や異民族との融和を進める大王の政策に異を唱え、王に媚びへつらう近習たちの言動を遠慮なく糾弾した。老世代の古参兵の声を代弁する立場でもあり、ペルシア風の跪拝礼にも、忠実な将軍パルメニオンとその子フィロタスの処刑にも、不満があったとされる。
紀元前328年、ソグディアナのマラカンダ(現在のサマルカンド)で、バクトリア総督のペルシア人アルタバゾスが老齢を理由に辞任を申し出た。大王は後任にクレイトスを任じ、祝宴を開いた。しかし両者の間にはかねて緊張があり、五十歳ほどのクレイトスは、幼いころからの親しい仲間と自任しながら遠ざけられたと感じていたともいわれる。酒宴では、大王をカストルとポリュデウケスやヘラクレスより偉大だとたたえる声が上がり、クレイトスは神々や英雄への侮辱として耐えられなかった。彼は大王の栄光はマケドニア人全体の働きによると述べ、ピリッポスの功績をたたえつつ、パルメニオンらの死を非難した。酔ったクレイトスは、グラニコス川で命を救ったことを大王に思い出させ、「あなたは父に劣る」と挑発したとされる。いったんはプトレマイオスに広間から連れ出されたが、クレイトスは引き返し、怒りと酔いに我を忘れた大王の槍に刺された。
酔いが醒めた大王は自らの行いに激しい衝撃を受け、遺体の上で自害しようとして衛兵に止められた。クレイトスとラニケの名を呼んで嘆き、三日三晩部屋にこもって食を断った。大王はこの殺害を、ディオニュソスの怒りのせいだと説明した。周囲の反対を押し切って、身分にふさわしい盛大な葬儀を営んだともいう。この事件は、マケドニア人の一部の大王への忠誠を傷つけた可能性がある。
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