HISTORICAL PERSON · 1872年没

ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハ

ドイツの哲学者で青年ヘーゲル派の代表格。ヘーゲルから離れて唯物論の立場をとり、キリスト教を激しく批判し、マルクスらに大きな影響を与えた。

生涯
1872年没
死亡地
ドイツ連邦共和国(バイエルン州 / ニュルンベルク)
出生地
ドイツ連邦共和国(ランツフート)
出典
世界地図
ドイツ連邦共和国(バイエルン州)

伝記

ルートヴィヒ・アンドレアス・フォイエルバッハは、1804年7月28日にバイエルンのランツフートで生まれたドイツの哲学者である。青年ヘーゲル派の代表的な存在で、刑法学者パウル・ヨハン・アンゼルム・フォイエルバッハの四男にあたる。家庭は啓蒙的で自由な雰囲気で、5人の兄弟はそれぞれに名を成した。兄弟には考古学者のヨーゼフ・アンゼルム、数学者のカール・ヴィルヘルム、文献学者のフリードリヒがいる。

1823年にハイデルベルク大学でプロテスタント神学を学び始めた。合理主義神学者パウルスの講義は空虚に感じて遠ざかったが、思弁的な神学者ダウプの宗教の扱いには魅了され、これが哲学への関心につながった。ヘーゲルの下で直接学ぶことを望み、父の反対を乗り越えて1825年にベルリン大学に入った。ヘーゲルの講義を聴いて強い影響を受け、約2年後には神学を捨てて哲学に専念した。経済的な困難から1年ほどでベルリンを離れてエアランゲン大学に移り、哲学の研究を続けつつ、生理学や解剖学など自然科学の講義にも出た。1828年に「統一的・普遍的・無限的理性について」で博士号を取得し、翌年から同大学で私講師を務めた。

ところが1830年に匿名で出版した『死および不死についての考察』が、個人の不死という考えと伝統的なキリスト教を批判したとして問題になった。著者はほどなく知られ、大学の職に就く道は断たれて、以後は著述で生計を立てることになった。1837年に、ブルックベルクの磁器工場の共同所有者だった女性ベルタ・レーヴと結婚し、工場の経営にも生活の糧を求め、その地に長く素朴な隠遁生活を送った。主要な著作の多くはこの時期に書かれた。

1839年には青年ヘーゲル派の機関誌『ハレ年報』に『ヘーゲル哲学批判のために』を発表し、師の哲学を批判する立場を公にした。ヘーゲル哲学が抽象的な精神を主体としてとらえ、本来は人間のはたらきであるものを独立させていると考え、これを「人間の自己疎外」として批判した。1841年に主著『キリスト教の本質』を刊行すると、青年ヘーゲル派をはじめ多くの若い学者に歓迎される一方、保守的な学者や神学者から激しい非難を受けた。神は人間の内心の反映だとする投影説を唱え、宗教を人間が自らの本質を神に投影する疎外の形と見た。1843年には『哲学改革のための暫定的テーゼ』『将来の哲学の根本命題』を出し、人間主義的唯物論の代表的な存在になった。マルクスやエンゲルスに大きな影響を与え、マルクスは『フォイエルバッハに関するテーゼ』でその唯物論が観想的にすぎると批判しつつも、唯物論的な転倒の発想と疎外論を受け継いだ。思想はニーチェやフロイトにも影響したとされる。本人は共産主義者ではなく、1848年の三月革命には関心を示したものの、生涯を通じて政治的・社会的立場には関心が薄かった。

1860年に妻が経営に関わる工場が破綻して経済状態が悪化した。1866年に『唯心論と唯物論』を発表したのち病床につき、貧困のうちにニュルンベルク近郊のレッヒェンベルクで1872年9月13日に死去した。晩年にはベーベルらが結成したドイツ社会主義労働者党に入党した。

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