伝記
ブリュアクシスは、紀元前4世紀に活動した古代ギリシアの彫刻家である。青銅鋳造にも優れ、紀元前350年ごろに盛期にあったとされる。生まれはアテナイともカリアともいわれる。名前がカリア系の出自をうかがわせる一方、アテナイ人とする伝えがあり、早くからアテナイで活動し、おそらくそこで芸術の修業も積んだと考えられている。
最もよく知られた仕事は、ハリカルナッソスのマウソロス霊廟の装飾である。この墓は、カリアの女王アルテミシア2世が、兄であり夫でもあったマウソロスを悼んで造らせたものだった。スコパス、ティモテオス、レオカレスという同時代の大彫刻家たちとともに招かれ、四人がそれぞれ一面を受け持った。ブリュアクシスが担当したのは北側の彫刻である。霊廟はマウソロスの死の3年後、アルテミシアの死の1年後に完成したという。
ほかの作品としては、アスクレピオス像と、セレウコス・ニカトルの肖像像が青銅像の作者としての業績に挙がる。アスクレピオス像は、メガラの神殿にあった崇拝像と同じものではないかとされ、そこには神と結びついた健康の女神ヒュギエイアの像も同じ作者の作と伝わる。またロドスの5体の巨大な神像と、クニドスの大理石のディオニュソス像も彼の作とされる。ハリカルナッソスの近隣でも活動したことがうかがえる。パタラの町にあったゼウスとアポロンと数頭の獅子の群像は、ペイディアスの作かブリュアクシスの作かで意見が分かれた。古代の著作家によれば、彼の腕前は、作品のうち二つがペイディアスの作と取り違えられたほどだったという。
さらに、アンティオキア近郊ダフネのアポロン神殿の像と、アレクサンドリアのセラピス像が挙げられる。ダフネの像は、リバニオスの記述によれば、金の衣をまとった巨大なアクロリトで、神は竪琴を持つキタラ奏者として、長い衣をまとい、左手に竪琴、右手に杯を持つ姿だった。この像は皇帝ユリアヌスの時代に雷で破壊されたとされる。セラピス像については、アレクサンドリアの像を同名の別人の作とする説もあった。しかしその説はセラピス像を古い時代へ引き上げるための作り話にすぎず、二人目のブリュアクシスを想定する必要はないという見方がある。アンティオキアの建設は紀元前301年とされ、セレウコスの像と合わせて、彼の活動が紀元前4世紀末に及んだ可能性が考えられている。いずれにせよ、セレウコスやプトレマイオス1世のようなディアドコイのために働いたと伝えられる。
古代の彫刻家としては珍しく、原作の一つが署名つきで残っている。1891年にアテナイのアゴラで見つかった奉納台座で、青銅の三脚を支えたもの、競技アンヒッパシアでの勝利を記念したものである。これは国外へ出る前の初期作とみられている。
同じ年に亡くなった人物
- ディノクラティス (紀元前 360年(推定))
- タキレス (紀元前360)
- コスのフィリタス (紀元前360)
- エジプトのアンティフィロス (紀元前 360年(推定))
- フィロタス (太守) (紀元前 360年(推定))
同じ地域に関係する人物
- ヘルモゲネス (紀元前200)
- カイホスロー1世 (1210年没)
- アナクシメネス (紀元前525年没)
- プリエネのビアス (紀元前529)
- Phocylides (紀元前600)