HISTORICAL PERSON · 858年没

ケネス1世 (スコットランド王)

ピクト人の王で、最初のスコットランド王とされる。ダルリアダ王位を継ぎ、843年にピクト王国の上王となってスコット人と統合し、アルバ王国を建てた。

生涯
858年没
死亡地
イギリス連邦(パース・アンド・キンロス / Forteviot)
出生地
イギリス連邦(アイオナ島)
出典
世界地図
イギリス連邦(パース・アンド・キンロス)

伝記

ケネス1世(ケネス・マカルピン)は、810年ごろに生まれ、858年に没した人物で、伝統的にはスコットランドの創設者とされる王である。ゲール語ではキナエド・マク・アルピンと呼ばれる。ダルリアダ王アルピンの子とされ、一説にはスコットランド西方のアイオナ島で生まれたと考えられている。ただしアルピンについての情報は非常に乏しく、ダルリアダの王名表には誤記が多いため、現代の歴史家はアルピンの治世やその系譜に慎重な見方をしている。一方、祖母がピクト人の王女で、コンスタンティン1世やオエンガス2世の姉妹だったと伝えられ、ピクト人の間では王家の女性を通じて王位を継げるとされていたことから、ケネスにはピクト王位への正当な請求権があったと説明される。弟にドナルド1世がいた。

ケネスは840年または841年に、父の跡を継いでダルリアダ王となったとされる。当時のダルリアダは山がちで耕地に乏しく、南には強大なストラスクライド王国があり、西のヘブリディーズ諸島はヴァイキングに奪われて、彼らの襲撃を受けていた。こうした苦しい状況が、ケネスをピクト人への攻撃に駆り立てたのかもしれないと指摘されている。839年の戦いでピクト王エオガナンが倒れたあと、ピクトの王国は王位が短期間で入れ替わる不安定な状態にあった。ケネスはピクト人を破り、843年ごろにピクトの王となったとするのが、現代の歴史家の多くが受け入れている見方である。年代記の記述には841年から856年とするものなどもあり、年は一致しない。

アルバ王の年代記によれば、ケネスはダルリアダ王としての治世の2年目にピクト人の住む地方へ入り、彼らを破って16年間そこを治めたという。ピクト人の年代記はケネスをピクタヴィアの王とし、アルスター年代記は「ピクトの王」と記している。伝承によれば、ケネスはピクト人を従わせてスコット人との統合を進め、のちにアルバ王国と呼ばれる国の基礎を築いた。ヴァイキングやストラスクライドのブリトン人とも戦ったとされる。首都はフォーテヴィオットに置かれ、アイオナの修道院が放棄されると、スクーンの石を含む聖遺物を新たな領地へ移したと伝えられる。後世には「征服者」を意味する呼び名で知られ、ある年代記は最初のスコットランドの立法者と呼ぶが、どのような法を定めたかは伝わっていない。

一説にはピクト王コンスタンティンの王女と結婚し、3人の子をもうけたという。長男コンスタンティン1世は863年から877年まで、エイは877年から878年までスコットランド王を務め、娘はストラスクライド王ランに嫁いで、のちのスコットランド王ヨーカの母となった。ケネスは858年2月に死去し、王位は弟のドナルド1世が継いだ。

なお近年の学界では、ケネスが最初のアルバ王だったとは限らないとする見方が有力である。年代記では息子エイがピクトの最後の王、孫のコンスタンティン2世が最初のアルバ王とされ、ケネスを最初の王とする記述は、新しい王国に正統性を与えるためコンスタンティン2世の治世に加えられたとも論じられている。ケネス自身も、直後の後継者たちと同じくピクト人の王を名乗っていた。

同じ年に亡くなった人物

同じ地域に関係する人物