伝記
ハーリス・アル=ムハースィビーは、アッバース朝期の神学者・思想家で、禁欲的な修行者でもあった人物である。781年ごろにバスラで生まれ、857年に没したとされる。フルネームはアブー・アブドゥッラー・ハーリス・ブン・アサド・ブン・アブドゥッラー・アル=アナジー・アル=バスリーといい、アナザ族というアラブの部族の出身であった。「ムハースィビー」とは自己点検や自己吟味を意味する語である。生年については781年から786年の間とする見方もあり、没地はバグダードとされる。
生まれはバスラだが、両親はやがて当時アッバース朝の首都となっていたバグダードに移った。父は相当な財産を築いたが、クルアーンは創造されたものだとする父の見解に神学上同意できず、ハーリスはその財産を受け取ることを拒んだと伝えられる。そうした環境にありながら、彼は禁欲的な生活を選び、ハサン・アル=バスリーの教えに影響を受けた。学問の面では、法学をシャーフィイーのもとで学んだとされ、のちにアブドゥッラー・イブン・クッラーブを中心とする神学者の集団と交わった。この集団は、ジャフム派やムゥタズィラ派、神を人間になぞらえる神学者たちの教説に反対していた。イブン・クッラーブは、クルアーンは創造されたとするムゥタズィラ派に対し、神の永遠の言葉とその時間の中での表現とを区別する立場をとった。ハーリスがこの集団と結びついたことで、晩年には疑いの目を向けられ、迫害も受けたという。
ハーリスは多作な著述家で、神学とスーフィズムについて約200の書物や論考を著したといわれる。主著は『神の権利の遵守』(アッ=リアーヤ)で、人が自らを精神的に吟味し、自分の中で神に仕えるものと神が喜ばないものとを見分けるよう説いた。ほかに『ハルワ』などの著作がある。彼は羊毛の衣をまとうこと、夜にクルアーンを唱えること、食を節することといった当時のスーフィーの慣行にも言及した。そうした行いは欲望を抑える助けになるが、内面の改革ではなく外に見せる敬虔さになってしまえば、偽善や高慢を生みかねないと論じたのである。最後の審判に備えて絶えず自己を省みることが、内面を清める道だと強調した。『ハルワ』では恐れと希望を論じ、修行の前提として世俗への執着を捨てることを勧め、まず現世を捨てることが自分を正し、他人を正す助けになると述べている。
弟子には初期スーフィズムの大物たちがおり、ジュナイドやサッリー・アッ=サカティーのほか、アフマド・ブン・アビー・アル=ワルドらが数えられる。雄弁な説教者でもあり、論敵であったイブン・ハンバルを泣かせたという話も伝わる。バグダード学派の創始者とも見なされ、神学とスーフィズムを結びつけたその学風は、のちにスーフィズムの主流となる教えの源流となった。のちのガザーリーをはじめ、多くの神学者に影響を与えたとされる。
同じ年に亡くなった人物
- イブン・マーサワイヒ (857年没)
- エリスポエ (857年)
同じ地域に関係する人物
- ハーディー (アッバース朝カリフ) (786年没)
- アブドッラフマーン・アル=バッザーズ (1973年没)
- ナスィールッディーン・トゥースィー (1274年没)
- イブン・ハンバル (855年没)
- Ibn 'Abd al-Hakam (871年没)