伝記
列禦寇(中国語読みでリエ・ユーコウ)は、中国の哲学者で、道家の書『列子』の著者とされる人物である。敬称として列子(リエ・ズ)と呼ばれ、『列子』の名もこの敬称に由来する。春秋または戦国時代の賢人とされ、『荘子』や『呂氏春秋』に登場し、のちに道家の重要な人物となった。ただし、没年は紀元前374年とされるものの、実在したかどうかについては古くから疑いが持たれている。
『荘子』によれば、鄭の国の出身で、現在の河南省の鄭州の近くに生まれたとされる。鄭で40年のあいだ、世に知られず隠れて暮らしたのち、飢饉のときに衛へ移ったという。死んだのは鄭だったと伝えられる。英語圏の翻訳者ライオネル・ジャイルズは、鄭の宰相の子陽が革命で殺された紀元前398年より少し前に、鄭に生きていたらしいと述べている。『荘子』と『列子』では、無欲と謙虚と素朴さを備えた模範的な賢者として描かれる。同時に、風に乗って空を飛ぶ力を持つ仙人のような存在、あるいは自然と一体になった神秘家としても語られる。
『呂氏春秋』は、列禦寇が「虚」を重んじたと伝える。心は鏡のように、物に向かって行かず、ありのままを映して何も隠さない。だから物に打ち勝ち、傷つくことがないというのである。一方で、刑名に近い弁証法のような「正」を重んじる人としても示され、黄老の流れに属すると見た注釈者もいる。『荘子』などに登場する関尹の弟子とされ、関尹は司馬遷が、老子に『道徳経』を書かせた関所の守り手と同一視した人物である。のちの道教の伝統は、列子を老子の弟子とするようになった。
実在を疑う説は多い。史料に歴史上の足跡がほとんど見えないのは、秦の始皇帝の焚書坑儒のせいかもしれないが、『荘子』が道家の模範として創り出した人物だと考える学者もいる。フレデリック・バルフォアは列子を「実在しなかった哲学者」と呼んだ。『列子』という書物自体も、多くの研究者は後世の成立と考えている。一方、清の乾隆帝の蔵書目録の編者たちは、司馬遷に言及がないことを理由とする偽作説を退けた。
死後の列子は神格化された。唐の玄宗は747年(天宝年間)に「沖虚真人」の称号を授け、宋の1007年には「沖虚観妙真君」へと称号が高められた。