HISTORICAL PERSON · 1852年没

エイダ・ラブレス

詩人バイロンの娘で数学者。バベッジの解析機関についての著作により、世界初のコンピュータープログラマーとして知られる。

生涯
1852年没
死亡地
イギリス連邦(シティ・オブ・ウェストミンスター / メリルボーン)
出生地
イギリス連邦(ロンドン)
出典
世界地図
イギリス連邦(シティ・オブ・ウェストミンスター)

伝記

エイダ・ラブレス(ラブレース伯爵夫人オーガスタ・エイダ・キング)は、1815年12月10日に生まれ、1852年11月27日に没した19世紀イギリスの貴族で数学者である。主にチャールズ・バベッジが考案した初期の汎用計算機である解析機関についての著作で、世界初のコンピュータープログラマーとして知られる。詩人の第6代バイロン男爵ジョージ・ゴードン・バイロンの一人娘であり、数学を愛好した。

詩人バイロンとその妻アナベラ・ミルバンクの間にできた唯一の嫡出子で、最初の名オーガスタは、バイロンの異母姉オーガスタ・リーにちなむ。1816年1月16日、アナベラはバイロンと別れ、生後1か月のエイダを連れて去った。バイロンはその後イギリスを離れ、二度と母子に会うことはなかった。エイダは母のもとで育ち、その容貌は父に似た美しさだったという。母は教養があり、数学者ウィリアム・フレンドに数学を教わったこともあって、「平行四辺形のプリンセス」とも称された。この母の影響でエイダも数学に高い興味を持ち、結婚後もそれが人生を支配した。神経が繊細で、目標が達成できないと強いストレスからノイローゼ症状を呈することがあり、母が幼少期に数学を学ばせたのは、その矯正の意味もあったとされる。数学と科学は何人かの家庭教師から手ほどきを受け、その一人がフレンドの娘婿であるド・モルガンであった。1835年にはキング男爵ウィリアム・キング(のちにラブレース伯爵を襲爵)と結婚し、3人の子をもうけた。

1833年6月5日、友人で科学的著作もあるメアリー・サマヴィルからバベッジを紹介された。その席にはブリュースター、ホイートストン、ディケンズ、ファラデーらもいた。エイダはバベッジの階差機関の説明を聞いて強い興味を示し、以後バベッジとは師弟関係が成立して多くの教えを受けた。1842年から1843年にかけての9か月間に、バベッジがイタリアで行った解析機関の講演の記録をホイートストン経由で入手し、英語に翻訳した。バベッジの勧めもあって本文の2倍以上の分量の訳注を付け、そこに載ったパンチカードによるベルヌーイ数を求めるプログラムのコードは、世界初のコンピュータプログラムと言われる。ただし、このプログラムはバベッジ自身が書いたもので、エイダは誤りを指摘しただけだとする説があり、評価には論争がある。一方、彼女の文章は、バベッジ自身も気づかなかった解析機関の可能性に言及していた。自らを「詩的な科学者」と称し、音階の構成を数値の組み合わせに置き換えられれば、解析機関は音楽作品も作曲できるだろうと述べている。

晩年は不遇であった。バベッジの研究が中断したあと競馬にのめり込んで多額の借金を負い、病に苦しみ、母から痛み止めの阿片も取り上げられたという。子宮癌を患い、1852年11月27日に36歳で死去した。直接の死因は医師が施した瀉血で、父と同じ年齢で、同じ瀉血という誤った治療が死因となった。遺体は本人の願いにより、父バイロンの隣に葬られた。

二人の知見は長らく評価されなかったが、約100年後の1940年代初頭に初の実用的なコンピュータが開発され、再発見された。人工知能についての彼女の意見は、1950年にアラン・チューリングが論文で「ラブレスの異議」として引用した。1980年には米国国防総省が新しいプログラミング言語をエイダと名づけ、10月の第2火曜日は「エイダ・ラブレスの日」とされている。

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