伝記
ダイアナ・リグは、1938年7月20日にイングランドのサウス・ヨークシャー州ドンカスターで生まれたイギリスの女優である。本名はエニッド・ダイアナ・エリザベス・リグ。父ルイスは鉄道技師で、仕事の都合により、彼女は2歳から8歳までインド北西部のジョードプルで過ごし、第二言語としてヒンディー語を話したという。その後イングランドに戻され、バッキンガムシャーのグレート・ミッセンデンの学校に通い、3年後にリーズ近郊プードジーのフルネック女学校へ移った。四つ年上の兄がいた。
1955年、17歳のときにロンドンの王立演劇学校の入学試験を受け、1955年から1957年まで学んだ。同級生にはグレンダ・ジャクソンやシアン・フィリップスがいた。1957年、ヨーク・フェスティバルでの学校の上演『コーカサスの白墨の輪』でナターシャ役を演じて初舞台を踏んだ。その後は2年間地方の劇場で働き、舞台監督の助手も務めた。1959年にはロイヤル・シェイクスピア・カンパニーに加わった。
1965年からテレビシリーズ『おしゃれ(秘)探偵』に出演し、女性秘密諜報員エマ・ピール役でヒットを飛ばして一躍スターとなった。ただ、私生活の自由が失われたことや、出演料が不当に安かったことなどが原因で、2年ほどで降板している。その後もテレビと舞台で活躍を続けた。1969年には007シリーズの『女王陛下の007』でボンドガールに選ばれ、トレイシー役を演じた。1968年には映画『真夏の夜の夢』でヘレナを演じ、のちに『ミュッペッツ・グレート・ケイパー』や『死海殺人事件』にも出ている。
舞台での評価は高く、1971年にはブロードウェイに初めて立ち、3度に及ぶトニー賞の候補入りの最初を果たした。1972年から1975年までは国立劇場の一員として、トム・ストッパードの作品などに主演した。1987年にはロンドンのウェスト・エンドでミュージカル『フォーリーズ』に主要な役で出演した。1990年代にはアルメイダ劇場で『メデイア』に主演し、1992年の上演がのちにウィンダムズ劇場、1994年にブロードウェイへ移って、この年にトニー賞の最優秀女優賞を受けた。1995年には『肝っ玉おっ母とその子どもたち』、1996年には『ヴァージニア・ウルフなんかこわくない』にも出演している。テレビでは、1989年のBBCのミニシリーズ『マザー・ラブ』で英国アカデミー賞テレビ部門の主演女優賞を、1997年の『レベッカ』の翻案でダンヴァース夫人を演じてエミー賞を得た。功績により、1988年に大英帝国勲章のCBE、1994年にデイムの称号を授けられた。
1973年にイスラエルの画家メナヘム・ゲフェンと結婚して1976年に離婚し、1982年に舞台演出家のアーチー・スターリングと再婚して1990年に離婚した。1977年生まれの娘レイチェル・スターリングも女優になり、2013年には『ドクター・フー』の「深紅の恐怖」で母娘のために作られた回に共演した。同じ年からテレビシリーズ『ゲーム・オブ・スローンズ』に出演し、機知に富んだ貴族の女性政治家、茨の女王ことオレナ・レッドワインを2017年まで演じ、エミー賞の候補になった。2018年にはブロードウェイに戻り、『マイ・フェア・レディ』のヒギンズ夫人役でトニー賞の4度目の候補となった。2020年9月10日、82歳でロンドンの自宅で亡くなった。娘によると死因はがんで、3月に診断されていたという。
同じ年に亡くなった人物
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- ブレント・スコウクロフト (2020年没)
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