伝記
ルイ・ブライユは、1809年1月4日にフランスのイル・ド・フランス地域圏セーヌ=エ=マルヌ県クヴレ村に生まれ、1852年1月6日に没した盲学校の教師である。アルファベットを6つの点の組み合わせで表す6点点字を考案し、自身も全盲であった。パリの北東約40キロメートルにあるこの村で、馬具職人の父シモンと母モニクのあいだの4人きょうだいの末っ子として育った。家は土地とぶどう畑を持つつましい暮らしで、きょうだいは年上ばかりだったという。父は革や木の板に鋲を打って文字を作り、指でなぞらせて読み方を教えたと伝えられる。
1812年、3歳のとき、自宅にあった父の工房で遊んでいて、誤って錐で左目を突いて負傷した。その後、右目も交感性眼炎を起こし、5歳で両目とも失明した。当時は障害のある子に教育は不要とされ、不遇な目に遭うことがほとんどだったが、ブライユは家族の協力もあって生活能力や知識を身につけていった。6歳のとき、村に来た神父ジャック・パリュイにその聡明さを見出され、7歳になるとパリュイ神父の取り計らいで村の学校に通い、校長アントワーヌ・ベシュレのもとで他の生徒と同じ授業を受けて優秀な成績を収めた。「自分で読み書きがしたい」という願いと学校での成績を見て、周囲はさらに進んだ教育が必要だと考え、村の侯爵が、1786年にヴァランタン・アユイが創設した学校に始まるパリの王立盲学校への推薦状を送った。これが認められ、1819年、10歳のときに奨学生として同校に入学した。
この学校でブライユは、軍人バルビエが考案した「夜間文字」と呼ばれる12点式の暗号に出会った。バルビエは夜間の伝言に使うこの暗号を視覚障害者にも有益と考えて普及を図り、当時の校長は採用しなかったが、校長が代わったのちの1821年に盲学校は試験的な使用を決めた。それ以前の視覚障害者向けの印刷は、ざらざらした板に紙を載せ、先のとがった物で左右逆の文字を書く方式で、視覚障害者自身が上手に書くのは非常に難しかった。ブライユは、アルファベットを表すには6点あれば十分で、その方がはるかに読みやすいと考え、これを改良して横2、縦3の現在の6点式を作った。のちに楽譜や数式の書き方も定め、これが世界中で使われる点字となった。
ブライユは同校を卒業して教官となり、教鞭を取りながら教会でパイプオルガンを演奏した。王立盲学校の建物はもとは監獄で、古く多湿で衛生的でなく、生徒の健康状態も悪かったため、26歳のときに肺結核を患った。晴眼者と視覚障害者の両方が使える点文字の開発にも取り組んだが、友人のフーコーが機械を作ったこの方法は、タイプライターの普及とともに廃れた。1852年、肺結核のため43歳で亡くなった。死後百年の1952年、遺骸は故郷からパリに移され、ユーゴーやゾラらが祀られるパンテオンに葬られた。生家はクヴレ村で点字博物館として公開され、世界中の視覚障害者が訪れて遺徳を偲んでいる。点字を表す言葉は多くの国で、ブライユの名にちなんで呼ばれる。小惑星(9969)ブライユも、その名にちなんで命名された。誕生日の1月4日は2000年に世界盲人連合により世界点字デーとされた。
同じ年に亡くなった人物
- トマス・ムーア (詩人) (1852年没)
- マリー・フォン・ヘッセン=カッセル (1767-1852) (1852年没)
- August Cappelen (1852年没)
- サルヴァトーレ・カンマラーノ (1852年没)
- アシル・リシャール (1852年没)
同じ地域に関係する人物
- ジョルジュ・キュヴィエ (1832年没)
- パウル・ツェラン (1970年没)
- フランソワ・エティエンヌ・ケレルマン (1835年没)
- クロード・ギャラモン (1561年没)
- アンヌ・ド・ブルゴーニュ (1404-1432) (1432年没)