伝記
ルイ・ジャック・マンデ・ダゲールは、1787年11月18日にフランスのコルメイユ=アン=パリジに生まれた画家、写真家である。史上初めて実用的な写真技術を完成させた人物として知られる。若いころはフランス初のパノラマ画家とされるピエール・プレヴォに弟子入りし、建築、劇場の設計、パノラマ絵画を学んだ。劇場にイリュージョンを作り出す技術に長け、演劇の有名な舞台デザイナーとして活躍したのち、自ら発明したジオラマ劇場を1822年7月にパリで開いた。
ジオラマ劇場の開発は、1821年春に画家チャールズ・ブートンと提携して始まった。ダゲールは照明や風景の効果を生む専門知識に優れ、ブートンは画家としてダゲールより経験が豊富だったが、ブートンはやがて撤退し、ダゲールが単独の責任者となった。劇場はパリのダゲールのスタジオに隣接して建てられ、二つの場面を備えていた。巨大な半透明のキャンバスの両面に細密な絵が描かれ、異なる角度から当てる照明の変化に合わせて場面が移り変わった。画面は固定式で、場面転換の際には円筒形の観客席のほうが回転した。観客は約350人で、基本的には立ち見であった。1824年9月から翌年2月にかけて公開されたロスリン礼拝堂の場面では、戸や窓から差し込む光や、雲が太陽の前を横切る様子が描かれ、タイムズ紙は「完全なマジック」と評した。ジオラマは人気を集めて模倣者も現れ、1823年9月にはロンドンにも別のジオラマ劇場が開かれた。のちに劇場は焼失したが、すでに企業としては終わりに近づいていた時期で、保険金が支払われたため、完全な破滅とは言えなかったとされる。
1829年、ダゲールは先に写真術の研究を始めていた発明家ニセフォール・ニエプスと組み、改良の研究に入った。ニエプスは1820年代半ばにアスファルトの一種を用いて最初の永続的なカメラ写真を得ていたが、露光には数時間から数日を要し、実用には程遠かった。1833年にニエプスが没したのちも、ダゲールは銀塩の感光性に注目して研究を続けた。銀メッキした銅板をヨウ素の蒸気にさらして感光層をつくり、撮影後に熱した水銀の蒸気で像を現すもので、ごく短い露光でも目に見えない潜像ができ、それを現像できると見いだしたのが決定的な発見だった。定着には濃い食塩水が使われ、のちにハイポが用いられた。こうして完成したダゲレオタイプは、露光時間を最終的に1、2分ほどにまで縮め、肖像写真も容易にした。1838年にパリで撮った写真は、人物が写った最古の確実な写真とされる。
1839年1月7日、科学アカデミーと美術アカデミーの合同会議でこの発明が発表され、詳細は伏せられたまま、終身書記フランソワ・アラゴだけが方法を知らされて強力な後押しをした。フランス政府はダゲールとニエプスの子イジドールに終身年金を支給する代わりに権利を取得し、同年8月19日に「世界に自由に」贈るものとして技術を公開した。銀板写真法は19世紀中ごろに世界中へ急速に広まった。1851年7月10日、ダゲールはパリから約12キロ離れたブリ=シュル=マルヌで、心臓発作により亡くなり、墓もそこにある。その名はエッフェル塔に刻まれた72人の名のひとつである。
同じ年に亡くなった人物
- ミハイル・ラーザレフ (1851年没)
- ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー (1851年没)
- Christian Friedrich Tieck (1851年没)
- オラス・セバスティアニ (1851年没)
- チャールズ・コーニック (1851年没)
同じ地域に関係する人物
- シャルル4世 (フランス王) (1328年没)
- シャルル9世 (フランス王) (1574年没)
- ジャック・ルー (1794年没)
- デイブ・シモンズ (1972年没)
- アンリ・メショニック (2009年没)