伝記
カリクラティダスは、ペロポネソス戦争の末期に活躍したスパルタの海軍司令官(ナウアルコス)である。スパルタ市民そのものではなく、モタクスと呼ばれる階層の出身だったが、その身分にもかかわらず頭角を現した。紀元前406年、エーゲ海へ派遣され、前任者リュサンドロスから艦隊の指揮を引き継いだ。就任したとき、まだ非常に若かったとされる。
その指揮は短く、多くの困難に見舞われた。最大の障害は前任者の策動だった。リュサンドロスは、艦隊の給与にあてるはずの資金を、出どころであるペルシアの王子キュロスに返してしまったらしい。兵に支払う金が要るカリクラティダスは、キュロスに頼らねばならなかったが、伝統を重んじるスパルタ人として、ペルシア人に金を求めることを嫌った。気の乗らないままの交渉は実を結ばず、最終的には別の資金源を探さざるをえなくなり、ミレトスの町が資金を出してくれた。
人柄については、次のように伝えられる。カリクラティダスは裏表がなく率直で、策略や裏切りによって何かを得ようとはしなかったという。その指揮のもとで、どの都市にも市民にも不正は行われず、買収しようとする者には厳しく対処して罰したとされる。策略に富み粘り強かったリュサンドロスとは正反対の人物だった。彼はペルシアとの同盟という、リュサンドロスのもとで好まれた方針を軽蔑し、もし自分に選ぶ権限があれば、アテナイと和平を結ぶだろうと語った。金銭がスパルタの政治や外交でしだいに大きな役割を占めていくことは、伝統を重んじ物質主義を嫌う彼の感性に反した。
エフェソスに艦隊を集めると、同盟国の船と合わせて140隻の三段櫂船になった。この戦力で各地に勝利を重ね、レスボス島ではアテナイの提督コノンと対決した。ミティレネの戦いでアテナイ軍は敗れ、艦隊は破壊されるか捕獲され、兵はミティレネの町に逃げ込んだ。一方、アテナイとその同盟国は150隻の三段櫂船を整え、ミティレネの包囲を解くためにアルギヌサイ諸島へ向かった。カリクラティダスは知らせを受けると、エテオニコスに包囲の継続を任せ、140隻を率いて諸島へ向かった。戦いの前に、占い師は彼が死ぬと告げた。彼は「戦って死ぬのなら、スパルタの名声を損なうことにはならない」と答えたという。
紀元前406年のアルギヌサイの海戦でスパルタ軍は大敗し、カリクラティダスの船は名高い政治家ペリクレスの子ペリクレスの船に衝角で突っ込み、その戦いのなかで彼は戦死した。のちにリュサンドロスがスパルタから戻り、エーゲ海での海軍の指揮をふたたび執った。指揮官としては成功しなかったが、多くのスパルタ人や同盟国の人々の尊敬を集め、死後も高く評価された。古きよきスパルタ人として記憶されている人物である。
同じ年に亡くなった人物
- トラシュロス (紀元前405)
同じ地域に関係する人物
- エウメネス1世 (紀元前241年没)
- Leman Bozkurt Altincekic (2001年没)
- ピタネのアウトリュコス (紀元前290年代没)
- ズュベイデ・ハヌム (1923年没)
- ゼノドトス (紀元前259)