HISTORICAL PERSON · 紀元前409没

ミンダロス

ペロポネソス戦争でスパルタの提督として艦隊を率いた。戦場をヘレスポントスに移したが敗北が続き、三度目の戦いで戦死した。

生涯
紀元前409没
死亡地
トルコ共和国(バルケスィル県 / キュジコス)
出生地
ギリシャ共和国(スパルタ)
出典
世界地図
トルコ共和国(バルケスィル県)

伝記

ミンダロスは、ペロポネソス戦争中の紀元前411年と410年にペロポネソス艦隊を指揮したスパルタの提督である。戦場をヘレスポントスに移すことには成功したが、その後は敗北を重ね、3度目の戦いで戦死して艦隊は全滅した。

ミンダロスが最初に艦隊の指揮を執ったのはミレトスだった。ペルシアの太守ティッサフェルネスは、自身の指揮下にある大規模なフェニキア艦隊がスパルタ軍に合流すると約束していた。ところが数か月待ってもそのような艦隊は現れず、ミンダロスは、約束が果たされないことを悟った。そこで、太守ファルナバゾスがより大きな支援を約束していたヘレスポントスへ艦隊を移すという戦略的な決断を下した。ミンダロスは73隻でミレトスを出航した。嵐のためにいったんキオスに上陸したが、数日で出発した。サモスから差し向けられたアテナイ艦隊を避けるため急ぎ、レスボス島と本土のあいだを抜けてヘレスポントスに入り、小規模なアテナイ艦隊を退けて、この地域にいたわずかな同盟艦とともにスパルタの基地アビュドスに入った。この動きにより、アテナイの穀物の供給路を断てる位置につき、アテナイ艦隊に自分の選んだ場所で戦うよう強いたことになる。

しかし、ここから運は傾いた。アビュドス到着の5日後、アテナイ艦隊が狭いヘレスポントスの海域に入り、数で勝る相手に挑んだ。キュノスセマの海戦では、序盤はペロポネソス側の勝利が手の届くところにあり、アテナイの左翼は孤立し、中央は岬に追い上げられた。だが、アテナイの艦長と水夫の優れた操船が形勢を逆転させ、ミンダロスの艦隊は損害を出してアビュドスへ逃げ帰った。ミンダロスはアビュドスに援軍を呼び寄せたが、合流しようとした少数の船がアテナイ艦隊に追い詰められるという2度目の敗北を喫した。救出に出て激しく戦ったものの、アルキビアデスが増援を連れて到着したことで戦いは潰走に変わり、ペロポネソス側はまたも損害を出してアビュドスへ逃げ戻った。

その後の数か月、ミンダロスはファルナバゾスの資金援助を受けて艦隊を立て直し、紀元前410年の春までに三段櫂船80隻にした。東のキュジコスに向かい、ファルナバゾスの軍の助けを得て市を攻め落とした。アテナイ軍はこれを追い、キュジコス沖で彼を致命的な罠に誘い込んだ。トラシュブロスとテラメネスが多数の三段櫂船とともに視界の外で待つあいだに、アルキビアデスが40隻を率いてキュジコスの前に姿を見せた。ミンダロスはこの餌に食いつき、全艦隊で追撃に出た。岸から十分に離れたところで、隠れていたアテナイ軍が現れて退路を断った。包囲されたミンダロスは、唯一開いていた方向である市の南西の浜へ向けて、必死に艦隊を走らせた。アルキビアデスの軍に追われながら上陸し、ミンダロスの兵と、救援に来たファルナバゾスの部隊は、アテナイ軍が船を沖へ曳き出すのを防ごうと戦った。当初はアテナイ側が押し戻されたが、トラシュブロスとテラメネスが自軍とアテナイの陸上部隊を背後から進め、ペルシア兵を追い払った。ミンダロスは兵を二分して両面からの圧力に立ち向かったが、彼が戦いの中で倒れると、ペロポネソス側の抵抗は崩れ、艦隊の船はすべて破壊されるか捕獲された。

この大敗ののち、ミンダロスの名は簡潔な物言いの最も有名な例のひとつとして残った。生き残ったスパルタ兵が出した報告がアテナイ軍に傍受されたのだが、そこには「船は失われた。ミンダロスは死んだ。兵は飢えている。どうすべきかわからない」とあった。

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