伝記
バッキュリデースは、紀元前520年頃にケオス島で生まれ、前450年頃に没したとされる古代ギリシアの抒情詩人である。後の世に「九人の抒情詩人」の一人に数えられた。ディオニュソスの神話をうたう『ディテュランボス』と、多数の祝勝歌で知られる。生没年には諸説があり、ピンダロスより若いとする古い伝承もあれば、前524年頃から前507年頃までの誕生を唱える研究者もいる。現在の研究者の多くは、ピンダロスと同時代の人物とみて、前518年頃の生まれとする。没年も前428年とする説があるが、前451年頃とする説が有力である。
生地はケオス島のイウリスで、母は詩人シモニデスの姉妹だったと伝えられる。父はメイドンとも、メイデュロスともいう。祖父は同名のバッキュリデースで、名高い競技者だったと伝わる。ケオス島は、デロス島との結びつきのもと、アポロン祭に合唱隊を送るなど、詩と音楽の伝統が古くからあった。島にはカルタイアにアポロンの神殿があり、合唱隊の訓練場でもあって、叔父シモニデスも若い頃にそこで教えていたという。ケオス人はサラミスの海戦でペルシアを破る戦いにも加わった。島民は独自の伝説や民間伝承を持ち、走りや拳闘に強く、各地の競技祭での島民の勝利はイウリスの石板に記録された。バッキュリデースは祝勝歌の一つで、同胞がイストモス競技祭で得た27の勝利に言及している。一説には、彼は一時故郷を追われ、ペロポネソスで亡命生活を送り、そこで才能を開花させて名声を確立したという。ただし、この話を伝える古代の典拠はプルタルコスだけである。
彼の詩は、その澄んだ表現と素朴な思想で知られ、優雅で磨かれた文体は古くから注目されてきた。一方で、ピンダロスと比べて見劣りするとの評もあり、これを退ける翻訳者の言葉もある。依頼者の求めに応じて勝利を祝う歌を作り、ピンダロスの祝勝歌に比べて分かりやすい。ディテュランボスには、ディオニュソス的な騒ぎと地上のにぎわいがよく表れているという。近代の校訂者ジェブは、詩に散らばる言葉から、彼を穏やかで寛容、ささやかな境遇に満足し、イオニア人に特有の物思わしげな憂いを帯びた、良識ある人物と推測した。後援者はデロス島、北部のテッサリア、西のシチリアにまで広がっていた。シュラクサイの僭主ヒエロン1世の客として、シモニデスやピンダロスと同じく滞在したと考えられる。宮廷でピンダロスと敵対したという話もあるが、後世の伝記作者の創作とみられている。彼の詩は生前にはそれほど親しまれず、名声は晩年にかけて徐々に高まったと推測されている。
作品は紀元前3世紀にアレクサンドリアの学者が編集し、賛歌、パイアン、ディテュランボス、行列歌、乙女歌、舞曲、エンコミア、祝勝歌、恋愛歌の9種類に分けて9巻にまとめた。ヘレニズム時代を通じて紀元5世紀頃まではよく知られ、ローマ皇帝ユリアヌスは、彼の作品を読むことが何よりの喜びだと述べたと伝わる。しかし中世を経て大半が失われ、約70の断片、合計約100行が残るのみとなった。
ところが1896年、エジプトのヘリオポリス・マグナ(現在のアシュムネイン)で、パピルスに書かれた詩集が発見された。全体で約1300行に及び、14編の祝勝歌と6編のディテュランボスが含まれている。これによって、彼の実際の作風を確かめられるようになった。日本語では、丹下和彦訳の『ギリシア合唱抒情詩集』などで読める。
同じ年に亡くなった人物
- ペレクラテス (紀元前450)
- アルケラオス2世 (紀元前 450年(推定))
- メロスのディアゴラス (紀元前450)
- シュラクサイのアンティオコス (紀元前 450年(推定))
- 左丘明 (紀元前 450年)
同じ地域に関係する人物
- ガイウス・ノルバヌス (紀元前80年代没)
- アポロニオス・モロン (紀元前100)
- ジャニベク・ギレイ (1636年没)
- コスのフィリタス (紀元前360)
- スピリドン・マリナトス (1974年没)