伝記
アブドゥッラー・イブン・サラームは、預言者ムハンマドの教友の一人で、ユダヤ教徒からイスラームに改宗した人物である。もとの名はアル=フサイン・イブン・サラームといい、没年は663年とされる。シリアとパレスチナの征服に加わったが、最期はメディナで迎えた。
メディナ(当時はヤスリブと呼ばれた)のユダヤ教徒で、カイヌカー族に属し、ヨセフ族の末裔を称していたという。ユダヤ教徒でない人々も含め、町の人々から広く敬われ、信仰深さと善良さ、行いの正しさ、誠実さで知られていた。穏やかに暮らしながらも、時間の使い方は真剣で規律があったと伝えられる。毎日決まった時間にシナゴーグで礼拝し、教え、説いた。そのあと果樹園でナツメヤシの世話をし、剪定や授粉をした。さらに信仰への理解を深めるため、トーラーの研究に打ち込んだ。その研究のなかで、先の預言者たちの使命を完成させる預言者の到来を述べた箇所に、とりわけ心を打たれたといわれる。メッカに預言者が現れたという噂を聞くと、すぐに強い関心を抱いた。トーラーのその箇所でたびたび立ち止まっては、現れるはずの預言者について長く考えをめぐらせ、読み進めるほどに、その預言者はメッカに現れたムハンマドだと確信するようになったという。
622年、ムハンマドはメッカを離れてメディナに向かった。一行がクバーに着いたとき、ひとりの男が町へ駆け込み、人々にムハンマドの到着を告げた。アブドゥッラーは、近くに座っていた叔母に、あの人は神にかけてモーセの兄弟であり、その宗教に従う者だと語ったと伝えられる。イスラームの伝承ではメディナ到着の直後に改宗したとされるが、非ムスリムの研究者のなかには、630年を改宗の年とする別の伝承を重くみる者もいる。
コーランにも、名は挙げられないが彼を指すとされる箇所がある。第46章10節の「イスラエルの子孫のなかの証人が同様のことを証言し、信じた」という句で、ジャラーライン注釈は、この証人をアブドゥッラー・イブン・サラームとしている。また、ムハンマドがユダヤ教徒たちに彼のことを尋ねたとき、彼がムスリムになったと知ったユダヤ教徒たちは彼を拒んだという話がある。サアド・イブン・アビー・ワッカースは、この反応を指す句がこの節だと付け加えている。ムハンマドが最良の教友たちと座っていたあるとき、地上を歩きながら楽園にいる男を見たいかと尋ねたと、ハディースは伝える。教友たちは自分の名が呼ばれるのを期待して黙ってムハンマドを見つめたが、ムハンマドが遠くを指すと、そこにいたのはアブドゥッラーであった。彼は生きているうちに楽園を約束された最初のムスリムだとされる。
トーラーに通じていたため、アブドゥッラー・イブン・アッバースがコーランのウザイルについて尋ねたとき、それがエズラのことだと教えたという。彼の語るところでは、神はエズラをいったん死なせたのちに甦らせ、エズラは暗記していたトーラーを書き直したので、イスラエルの民の一部はエズラを神の子だと主張するようになったという。彼には、タバリーのコーラン注釈に多く見られるユダヤ教由来の伝承(イスラーイーリーヤート)の広い蓄積があったとされる。カリフ・ウスマーンの治世の末期には、ウスマーンの家を取り囲んだ反乱者たちに助言し、ウスマーンを守ろうとしたが、聞き入れられなかった。彼にはムハンマドとユースフという二人の息子がおり、663年にメディナで世を去った。
同じ年に亡くなった人物
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