伝記
ムネシクレス(ムネシクレース)は、紀元前5世紀のアテナイの建築家である。ペリクレスと同時代の人物で、盛期古典様式の建築に携わったとされる。生没年は伝わっていない。プルタルコスは『ペリクレス伝』の中で、彼をアテナイのアクロポリスへの入口であるプロピュライアの建築家として名指ししている。
プロピュライアは、アクロポリスの記念碑的な門である。工事はペリクレスの命によって始まり、フェイディアスが監督したともいわれる。着工はエウテュメネスがアルコンを務めた年の紀元前437年で、ヘリオドロスによれば工期は5年に及んだ。完成は紀元前432年ごろとされ、ペロポネソス戦争が始まる前に仕上がったともいわれる。一方で、戦争の勃発によって工事は未完のまま終わり、建設費が軍事費に回されたと説明されることもある。
この門の設計は大胆であった。二つの外側の柱廊にはパルテノン神殿と同じドーリス式の円柱が用いられ、両者が視覚的なまとまりをなすように意図された。その二つの柱廊を結ぶ内側の列柱は、イオニア式である。ドーリス式を外側に、イオニア式を行列の通る道に沿って配する組み合わせは調和をもって実現され、それまで見られなかった新しい構成だったという。北翼にはピナコテケ、すなわち絵画館が置かれた。左右に二つの翼をもつ設計は神殿建築の要素を部分的に取り入れ、複雑な空間の連なりを一つにまとめていた。さらに、視覚上の細かな補正を重ねた門であったため、アクロポリスを登ること自体が一つの演出になった。門を抜けるとき、入口の軸線の先にフェイディアスのアテナ・プロマコスの像が現れ、黄金に輝く女神の姿が見る者の目に飛び込んだと解説されている。
当初の計画はもっと大規模なものだったと、ドルプフェルトによって示されている。しかし理由が正確には分からないまま、実現しなかった。ペリクレスに敵対する党派が宗教上の理由を口実にしたためだと推測されている。計画ではブラウロンのアルテミスに捧げられた土地の一部を占め、聖なるものとされたペラスゴイ人の城壁の一部を壊すことになっていたからである。
ムネシクレスは、紀元前421年から紀元前405年にかけてのエレクテイオンの建設にも関わったとされる。ただし、確実な作者と見る立場ばかりではなく、建築の一部に関与したと考える研究者もいる。
同じ年に亡くなった人物
- パラシオス (紀元前460)
- ファルナケス2世 (太守) (紀元前 460年(推定))
- アポロドーロス (紀元前460)
- ギュリッポス (紀元前 460年(推定))
- カラミス (紀元前460)
同じ地域に関係する人物
- クリュシッポス (紀元前200年代没)
- コンスタンディノス6世 (コンスタンディヌーポリ総主教) (1930年没)
- Konstantinos Andreou (2007年没)
- コンスタンディノス・コリアス (1998年没)
- Kitsos Tzavelas (1855年没)