伝記
ヘラクロナスは、626年に生まれ、642年に没したとされる東ローマ帝国ヘラクレイオス王朝の皇帝である。公式にはヘラクレイオス2世と呼ばれるが、若年の皇帝だったため、「小ヘラクレス」を意味するヘラクロナスというあだ名がついてまわった。ヘラクレイオス1世と、その姪マルティナの間に生まれた子である。在位は641年で、2月から9月までともいわれ、同年10月か11月まで続いたともいわれる。
生まれた場所についても説が分かれる。父帝がササン朝ペルシアと戦っている最中に、ラツィカで生まれたともいわれ、コンスタンティノポリス郊外のソフィアナイの宮殿で生まれたともいわれる。彼は、父とマルティナの間のおそらく4人目の子で、身体に障害のない最初の子だった。叔父と姪の結婚で10人の子に恵まれたが、障害のある子や病弱な子が多かったという。この近親婚は世間の不評を買い、彼自身も庶子にすぎないと考える者が多かった。
母の影響力によって、632年にカエサルの称号を与えられ、638年7月4日には、ダフネ宮殿の聖ステファノス礼拝堂で行われた儀式で、アウグストゥスの称号へと引き上げられた。このとき、弟のダヴィドがカエサルとなった。儀式の様子は宮廷儀礼の書に記録され、彼のカエサルの冠が外されて皇帝の冠に替えられ、同じ冠がダヴィドの頭にのせられたという。641年2月11日に父帝が死ぬと、遺言により、異母兄コンスタンティノス3世との共同皇帝となった。母マルティナは「母にして皇后」の称号を受けた。しかし、そのとき彼はまだ15歳で、28歳だった兄が実権を握ることになった。宮廷では、二人の周りに早くも派閥が形成された。コンスタンティノスは財務官から、父帝が母のために、総主教ピュロスの管理する秘密の基金を作っていたと聞き、これを没収して、春の軍の給与の支払いに充てた。当時の帝国は、639年に始まるアラブ人の侵攻に苦しみ、エデッサとダラを奪われ、エジプトでも戦いが続いていた。父帝の遺言には、マルティナに摂政に近い権限を与える部分もあったが、元老院に退けられたという。
数か月後に、コンスタンティノス3世が結核で急死し、彼は単独の皇帝となった。ただし、幼いために母が摂政となり、実際にはマルティナが彼を通して政治を行ったという。兄の死は5月25日ともいわれ、彼の即位後4か月ほどの出来事ともいわれる。兄の支持者からは、母子が兄を毒殺したのではないかという疑いが流れた。加えて、アラブ人によるエジプトの征服が進んでいたこと、マルティナが単意論を支持したことなども、政権への反感を強めた。
こうして内乱が勃発し、10月か11月に、将軍ウァレンティヌスが彼を倒して、コンスタンティノス3世の子コンスタンス2世を帝位につけた。母マルティナは舌を切られ、彼は鼻を削がれて、ロードス島に追放された。帝位を追われた皇帝に切断刑が加えられた最初の例で、おそらくペルシアから伝わったものとされる。ローマ皇帝の即位には五体満足でなければならないという不文律があったため、以後も、二度と帝位につけないように、失脚した皇帝の目をつぶし、鼻や耳を削ぐ刑がしばしば行われた。追放後の消息は不明で、翌年に亡くなったとする説もあるが、定かではない。
同じ年に亡くなった人物
- ハーリド・イブン・アル=ワリード (642年没)
- オスワルド (642年)
- エオワ (642年没)
- プラケーシン2世 (642年没)
- Tulga (642年)
同じ地域に関係する人物
- バッキュリデース (紀元前450年没)
- ジャニベク・ギレイ (1636年没)
- スコパス (紀元前350年没)
- Onesikritos (紀元前289)
- リンドスのカレス (紀元前279)