HISTORICAL PERSON · 642年没

エオワ

イングランド七王国時代のマーシア王。弟ペンダとの戦い、メザーフェルスの戦いでノーサンブリア王オズワルドと共に殺害されたとされるが、その事跡はほとんど伝わっていない。

生涯
642年没
死亡地
—
出生地
—
出典
世界地図
位置情報未登録

伝記

エオワ(エアワともいう)は、イングランド七王国時代のマーシア王である。マーシア王ピュバの息子の一人で、後に名高い王となるペンダの兄にあたる。642年に没したとされるが、その年には諸説がある。エオワの事績を伝える資料はごくわずかである。同時代の主要な書であるベーダの『英国民教会史』と『アングロサクソン年代記』には、エオワがマーシア王であったことも、メザーフェルスの戦いに加わって戦死したことも書かれていない。『年代記』にエオワの名が現れるのは、後のマーシア王エゼルバルドとオファの系譜をたどる箇所だけであり、エオワの実像には不明な点が多い。ベーダの書にはそうした系譜の記述もない。

エオワの死を伝えるのは、9世紀の歴史書『ブリトン人の歴史』である。その65章には、ペンダがコクボイの戦いを行い、ピッパの息子で自らの兄であるマーシア王エアワと、ノルド人の王を殺害し、悪魔の術によって勝利者となった、との記述がある。『カンブリア年代記』の644年の項にも、コグフリの戦いでノルド人の王オズワルドとマーシア人の王エアワが命を落としたと記されている。これらによれば、エオワは642年(諸説あり)8月5日のメザーフェルスの戦いの当時マーシアの王であり、弟ペンダに殺害されたことになる。この戦いでは、ノーサンブリア王オズワルドもペンダ率いるマーシア軍に敗れて命を落とした。

もっとも、エオワとオズワルドの死についての記述はきわめて少なく、戦いに至る経緯は分かっていない。エオワはペンダと共同のマーシア王だった、あるいはペンダの上王だったとする説がある。この説は、『ブリトン人の歴史』がペンダの在位をメザーフェルスの戦いの後から数えているように見える理由の説明にもなる。ほかに、エオワはオズワルドに従属していて、オズワルドと同盟を組んでペンダと戦ったとする説もある。また、マーシアにはこの頃まで共同王位制の慣習があったため、ペンダとエオワが南と北を別々に治めていた可能性も指摘されている。

中世史家ニコラス・ブルックスは、エオワが635年からメザーフェルスの戦いまで王位にあったと考えれば、ウェールズ勢がマーシアを襲った際に「書物を抱えた修道士たち」が惨殺されたといわれる出来事を説明できると述べた。エオワがノーサンブリアに従属する王であったなら、オズワルドがマーシアでのキリスト教布教を促した可能性があり、まだ異教の国だったマーシアに修道士がいたことも理解できるというのである。ペンダはウェールズと同盟関係にあったことが知られているので、その襲撃はペンダの治世の出来事ではなさそうだと、ブルックスは考えた。

エオワの血筋は、死後も絶えることなく続いた。ペンダの孫チェオルレッドが716年に死去すると、エオワの子孫であるエゼルバルド、オファ、エグフリスが続けてマーシア王となった。『アングロサクソン年代記』には、エゼルバルドはアルウェオの子、アルウェオはエアワの子、エアワはピュバの子と記されている。エオワの玄孫にあたるオファ(在位757年〜796年)は、アルウェオではなく、エオワのもう一人の息子オズモンドの子孫である。その系譜はオズモンドからエアンウルフ、シングフリスを経てオファに至る。エオワの父ピュバはクレオダの子で、さらにキネワルド、クネッバ、イッチェルらを経て、遠くウォーデンにまでさかのぼるとされる。

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